『雨の島』 呉明益

 

 

口絵は、動物や植物を細密に描きあげた六点の美しい博物画だ。ミミズ、コウライウグイス、タイワンツガ、ウンピョウ……
六点のうち五点が作者・呉明益自身の作品(一点が呉亜庭という画家の作品)とのことにびっくりしてしまった。こんなに繊細で美しい博物画を描く人でもあったんだ……。
六点の絵に、六作の中短編の小説がつく。絵に導かれて物語が始まるような感じだ。
六つの小説は緩く繋がり、舞台や登場人物が越境して登場するし、共通する「鍵」がある。


主人公たちは、それぞれの事情により、人の社会では生きづらい人たちだ。
その姿や、もって生まれた資質、あるいは、事情があって進んで人の社会に背を向けた人もいる。
代わりに恵まれた才能に気がついたり、何か探し物をして、生きる場所を自然の中に求めた。


私たち人間は、この地球の自然なリズムからとっくの昔に、はみ出してしまっているのだなあ、と、読みながらしみじみ確認している。
六つの物語の主人公たちは人の世に見切りをつけたように見えるが、それが、もしかしたら生きものとして、自然なことなのかもしれないとも思うのだ。人の社会に順応できない(しない)ということが。


物語はどれも、どちらかといえば陰鬱だ。(主人公たちは揃って傷つき、揃って孤独だから。)
だけど、ほんとうにそうなのかな。
低めの静かな落着きが、心地よいとも思えるのだ。
人の手が入ることを拒む森や川、土の中、そして海を深く感じるせいかもしれない。
人の心は森や海に似ている。


「(同じように見える泥土であっても)庭の土と畑の土と森の中の土は、においも色も感触もちがう」
「彼は森のかすかな、はにかんだ、それでいて自由で気取りのない音をはっきりと「見る」ことができた」
「海は鬱を引き起こすが鬱を治すこともできる」
などなど……好きな言葉だ。


異質なものを敏感に嗅ぎつける人の集団。
海を漂っていくゴミの島。
コンピューター・ウィルスとなって、どこからか送られてくる「鍵」。


あまりに小さくて孤独な六人の主人公たちが、どこまでも進出し浸食しようとする人間社会の手に、からめとられもせずにいる姿は、痛ましくも逞しくも感じる。
六つの物語が新しい神話のように思えてくる。
物語の主人公たちが、神話の扉の鍵を開こうとしている。