『複眼人』 呉明益

 

 

太平洋にゆっくりと漂流する巨大なゴミの渦があるそうだ。それは島になり、海を漂い、ある時台湾島に衝突する。
海岸は海に飲み込まれ、飲み込んだ海は色を変え、悪臭を放ち続ける。
海と陸の境界のないゴミのシチューみたい。そこに、環境問題、自然災害、信仰までも混ざりこんで、ぐつぐつと泡立つようだ。


この大鍋に翻弄されながら、人びとはなんとか暮らしを続けている。
登場人物は皆、置いてきぼりにされた人たちだった。一人ぼっちで舟に乗って漂っているように見える。
海の人、山の人、先住民族、外国人、大学教授、反商業捕鯨活動家、マッサージ嬢……
読んでいると、私も複眼で彼らを見ているような気持になる。
複眼の、それぞれの単眼レンズに、それぞれの人(が舟に乗って漂っている様子)が写る。
ゆらゆらと漂って、近づいたり、離れたり……重なりそうで重ならないのを眺めている。


起きている事は深刻で解決の糸口もない。
のだけれど、この安らぎはいったいどこからくるのだろう。
台湾の先住民族の知恵、だろうか。
遠い太古から受け継いできたこと、その理由や意味さえすっかり忘れてしまってもなお、残っている神話的エネルギーが静かに人の中に染み入ってくる。


不思議な複眼人の存在は死者に寄り添う。
その対極のような存在が、ゴミの島に乗ってやってきた少年アトレで、生者に寄り添う存在と思う。


アトレは、太平洋の浮島に住むことを余儀なくされた、文字を持たない民族ワヨワヨ人の子だ。
小さすぎて資源のない島では、次男たちはある年齢になると海に漕ぎだし、戻ることは許されない。アトレもそうして島を出た次男の一人だが、ゴミの島に漂着して生き延びたのだった。
ワヨワヨから海に出ていく人たちは死を覚悟しているのだろうが、アトレが見詰めているのは生のように思える。


途中、思いがけないことが明らかになるが、動揺している私が間違っているのではないかと思うほど、物語は平らに過ぎていく。


「天気はどうだい」「雨になるよ」と人びとは言うけれど、ワヨワヨ島ではどんな天気であれ答えは「よく晴れているよ」だ。
「よく晴れているよ」が神話の始まりのような気がする。


私は本を読みながら、得も言われぬ美しい歌声を聴いている。
それぞれが自分自身の物語を語るのを聴いている。
物語が寄り集まって新しい神話になっていくのを聴いている。
歌と神話とを引いているのはきっと海を行く少年だ。