『村の学校』 ミス・リード

 

フェアウォーカー村の小学校は、教会付属の学校で、教会のすぐ隣に建っている。電気の設備はあるが水道はなくて、貯水槽に雨水を貯めて沸かして使っていた。
語り手のミス・リードはこの学校の校長で大きい子のクラスの担任。


学校が三人の新入生を迎える九月から始まる、一年間の物語だ。
約四十人の生徒たちは、よく遊び、よく食べて、よく手伝うが、あまり読書をしない。
それは、「本なんか広げている暇があったら、用事はいくらでもあるんだから」という親たちの態度にもあるのが、ミス・リードの頭の痛いところだった。
子どもたちの家庭はさまざまで、子どもをまるでお姫様のようにくるみこむ家庭もあれば、「給食費を払う必要があるなら食べなくていい」という、のんだくれの父親のいる家庭もある。
だけど、どんな家庭に対しても「それはよくて、これはだめ」と決めつけるようには書かれていない。親たちの姿をユーモラスに描きだすことはあっても。
そのとき、周囲から浮いているように見える子どもも、それほど問題もなく育っていく。時にはびっくりするような将来が待っていたりもするから、何が幸いするか災いするか、わからないものだ。
それは、住民の端から端まで知り合いの狭い村の(面倒くさいこともたくさんあるが)人びとの目配りのおかげかもしれない。


学校は、周囲の大人たちの大きな関心事なのだ。
日々の話題を提供するのは、個性豊かな大人たちと、いたずら盛りの子どもたちと、いったいどちらが多いだろう。
「わたしたちの学校という小宇宙に、各自、何ものかをつけ加えている」


クリスマスパーティーや運動会、収穫祭や婦人会のバザー、そして教会学校の遠足……どの行事も村をあげてのお祭りで、しかも、当日よりもその準備の日々にこそ語るべきことがいろいろある。
あちこちで想像を越える出来事が起こり、言葉をなくし、顔を見合わせ、ときどき笑い崩れたりしながら、日々はまわっていく。
きっと次の一年も、大きく変わらないだろうと思えることがちょっとうれしい。