『ぼくは川のように話す』 ジョーダン・スコット/シドニー・スミス

 

川は……
「あわだって、」
「うずをまいて、」
「なみをうち、」
「くだけていた。」
美しい絵本だ。
ジョーダン・スコットの詩が素晴らしいうえに、シドニー・スミスの絵が本当に美しくて。
ことに中ほどの、畳まれた大きな見開きを中心にした数ページの川の場面は、ちょっと離れて見た方がいいかも。


「ぼく」が教室の後ろの席で、何かを発表しなければならないとき、みんながいっせいに振り向くのを感じる。
「ぼくの口はうごかない」
みんなに見られ、苛立たせ、笑われることで、ますます話せなくなってしまう。
ぼくの席から見える教室は(絵のなかで)傾いて、黒板も先生も、クラスメイトたちの姿も、ぼうっとにじんだ沁みのようになっている。


子どもたちがもうちょっと大きくなれば、自分にだって別の苦手なことがある、みんなと違うところがある、ということにだんだん気がついてくるだろうけれど……。


ものごとって、あっちの側からみたり、こっちの側から見たり、また別のほうから見たり、そうしたら思いがけない姿が現れることもある。
だけど、人一倍苦しい思いをしているときには、なかなかそういう考え方はできないよね。


吃音。
長い時間をかけて克服した人の物語は読んだことがある。
そのために力を貸してくれた素晴らしい助け手の話も読んだことがある。
だけど、こういうお話には、私は初めて出会った……


放課後、川につれていってくれたのはとうさんだ。
とうさんが教えてくれたこと……。
「ぼく」が自分でみつけたこと……。
思いがけず美しものをみつけた驚きと喜びと、不思議な感謝に、わたしは満たされる。