八月のニューヨーク、すずしげな夜のこと。
ダニーは、地下鉄駅のホームの隅っこに、生まれたての赤ちゃんが布にくるまれてころがっているのに気がついた。
ダニーはまず警察に電話する。それから「ぼく」に電話してきたのだ。「ピート! 赤ちゃんをみつけたんだ! 来て、すぐここに!」
それが物語の始まり。
レオ・スピノーサの絵は、色づかいも構図も、都会的でおしゃれだ。描かれる人物は、コミカルでちょっととぼけた感じ、そして、温かい。
作者のピーター・マキューリオは……本の袖に書かれた紹介文に、
「ニューヨーク市で夫ダニーと暮らす。二人の息子ケヴィンは現在大学在学中」
とあるのをみて、はじめて気がついた。これは、作者家族に起ったことだったのだ。
地下鉄で見つけた赤ちゃんが、どうして二人の男性の息子になったのか。
子どもなど持つつもりもなかったカップルが、どうして親になったのか。
文と絵でていねいに綴られる物語には、どのページにも喜びがいっぱいだ。
ふたりが親になるために、手を貸してくれた人たちが温かい。みんなが協力して、短い期間に、「きみに必要な何から何までを 大いそぎで用意してくれた」 ここのところ好きだ。
ゲイのカップルが、他のいろいろな形のカップルと同じように、親戚たちからも社会からもあたりまえに支えられたり、支えたりしながら、あたりまえに暮らしているのだ、ということが(こんなこと、わざわざ書くことさえも恥ずかしくなるくらいのあたりまえさで)描かれている。
赤ちゃんがやって来るのは、こういう場所なのだ。(こういう場所でありたい)
「ときに、赤ちゃんは永遠の家族のもとに生まれてくる。
ときに、赤ちゃんは養子縁組されてやってくる」
赤ちゃんはいろいろな形でやってくる。
家族のなりたちも、いろいろな形で始まり、びっくりするほど、いろいろな形に変容していく。
この物語が奇跡の物語であるように、どんな家族の物語も、唯一無二の奇跡の物語にちがいない。
ピートが初めて赤ちゃんを抱いたとき。
「ぼくらの家は、ちっちゃい。ぼくらの貯金箱は、からっぽ。でも、ぼくらの心は、いっぱいだ」
なんて力強い言葉。奇跡は、ここから生まれたのだね。
赤ちゃん、「きみ」の名前はケヴィン。
これは、パパ・ピートが、ちいさかった「きみ」に、毎晩、語って聞かせた物語であるという。