『ウナギが故郷に帰るとき』 パトリック・スヴェンソン

 

全18章のうち、奇数章には、ウナギについての公のこと、偶数章には、ウナギをめぐる「ぼく」と父の思い出が書かれている。
これはエッセイ、と呼んでいいのかな。


「ウナギはこんなふうにこの世に生まれる」という言葉から始まるこの本は、今知られているヨーロッパウナギの一生について、書いている……
いや、むしろ、書かれているのは、ウナギについて、私たちが知っていることがいかに少ないか、ということの確認かもしれない。
紀元前四世紀のアリストテレス(卵から生まれる魚類とは違って、ウナギは雌雄の区別なく泥から発生する、と断じたそうです)から始まって、現在に至るまで、多々の研究が進み、少しずつ謎が解明されてくれば、そうなっただけ、ウナギは手のうちをぬるっと抜けて、さらなる謎のなかに頭をつっこんでしまう存在のようだ。


一方で、少年時代から始まる「ぼく」と父さんのウナギ釣りの日々の思い出が美しい川辺で牧歌的に語られる。
喜びや無念さ、獲物の生命力への驚きなどを通して、釣れば釣るほどに、彼ら親子にとっても、ウナギの謎が深まっていく。
川では寡黙な師となる父。少年のようにはしゃぐ父。「ぼく」にとっての父の姿も変わっていく。


公私にわたって、ウナギの一生(ルーツ)を追いかける筋立てなのだ。
いったい私は、この本を読みながら、ウナギのルーツを追いかけているのだろうか、それとも、親子のルーツを追いかけているのだろうか、わからなくなってくる。
きっと両方なのだ。ウナギと人がいつのまにか混ざり合う。
ウナギも人も、旺盛な生命力をもちながら、なお神秘的で、ときどきおぞましいくらいに不気味。そして、どこまでもわかっているようで、どこまでもわからない(いつでも解きたい謎がある)存在なのだ。


「『妙な生き物だな、ウナギってやつは』と父さんはよく言っていた。そしてそう言うとき、父さんはちょっと嬉しそうだった。父さんはまるで、謎めいたものを必要としているみたいに見えた。謎が、父さんのなかの空洞のようなものを埋めてくれるみたいだった」
ウナギだけでなく、人も。「ぼく」にとっての父さんも。そして「ぼく」自身も。


ウナギが絶滅しかけていることへの危惧も書かれていて、見て見ぬふりをすれば、いずれは人の絶滅に繋がることも書かれている。
私たちにはたくさんの課題があるが、きっと乗り越えられるはず。
ウナギも私たち人間も、いつまでも神秘的で不気味で、ふてぶてしいくらいに旺盛な生命力をもつ豊かな謎であるならば。そして、あり続けるために。