『ゴリラの森、言葉の海』 山極寿一;小川洋子

 

山極寿一さん(霊長類学者)と、小川洋子さん(小説家)の、主にゴリラをめぐる対談集である。
ゴリラの話から、さまざまな方向に話は飛ぶ。ゴリラを語ることは、人間について語ることで、環境について語ることで、未来について語ることでもあるから。


人間のゲノム(遺伝子の組み合わせのこと)と、ゴリラのゲノムを比べると恐ろしいほどよく似ているそうだ。
ゴリラ、チンパンジー、オランウータンは、そのほかの霊長類(サルと呼ばれる系統)よりも、ずっと人間に近いのだそうだ。
ゴリラの行動や社会の在り方をみれば、びっくりすることがたくさんある。動物というよりも、私たち人間の一種族の話だ、と言われても素直に頷いてしまいそうだ。


ゴリラが、密林の森に住むように、人間は言葉の森に住む。
それは、「人間はなぜ戦争をするのか」という問いから始まる。
ゴリラたちは温厚で争いを好まないそうだ。
人間は戦争する。人、という同じ種族の間で殺し合う。それは「類人猿から引きついた本能」ではなかった。
山極さんは、(理由のひとつとして)「言葉のせい」と言った。
衝撃だった。
人が言葉を獲得したのは、画期的で素晴らしいことではなかったか。でも、大抵の出来事と同じように、副作用的なマイナス面があるのだろう。
丁寧に解説されれば、ああなるほどと頷けることばかり。
「言葉を使うというのは、世界を切り取って、当てはめて、非常に効率的に自分の都合のいいように整理しなおす、ってことなんです」
「言葉というのはすごい狡猾なんですよ」
言葉を持たないゴリラの、争いのおきそうな場面で、仲裁者が間に入り、互いの顔を近づけ合う(それで問題は解決する)場面は美しかった。


人間の祖先は密林を出たことによって、ゴリラたちのような生活を捨てた。いまさら、遠い過去に立ち戻ることはできない。
言葉を持たないゴリラの時間は「いま」しかない。過去も未来もない。自分の子が殺されても、時がすぎれば、こだわりも捨てる。
だけど、人は、過去に、自らが属する集団が犯した罪(自分直接手を下したことでなくても)を負う責任がある、と考える。それは未来のためでもある。


「言葉の獲得によって人間は、自らを亡ぼすかもしれない道を歩みはじめた。その危険の代償として、他の動物には受容できない、かけがえのない文学の喜びを得たのです」
という小川さんの「つぶやき」を頼りに、ますます難しくなっていく(話し言葉だけではなく書き言葉も得た)言葉の海を、人間は泳ぎ渡っていく。


山極さんは「世の中には、言葉で表現できないことがなんと多いことか」という。
言葉で表現できないこと。
もしかしたら、それが、言葉を得た私たち人間に残された宝であるかもしれない、と思った。