『チェリーシュリンプ』 ファン・ヨンミ

 

中学二年生のキム・ダヒョンは、仲良し五人組のひとりだが、新学期早々、五人が嫌っているノ・ウンユと隣の席になり、課題のコミュニティ新聞作りでも、同じグループになってしまう。
仲良し五人組の約束で、絶対口を利かないときめていたウンユと、ダヒョンは話さないわけにはいかなくなってしまった。
この新聞作りグループは居心地がよい。言いたいことを言って、聞いて、誰かの悪口の花が咲くこともない。
ダヒョンは、今まで、仲良したちのなかでどんなに無理をしていたか気がつき始める。
そういえば、五人組は、なぜ、ウンユのことをあれほど嫌っていたのだろう……


学校には大勢の生徒が集まる。いろいろな人がいる。
自分のことを嫌う人だって一定数いるはずだ。
だれにも嫌われたくないなんて不可能だし、自分ひとりの力で相手の気持ちを変えることなんてまずできない。


ダヒョンは小学校五年生のときに仲間外れになり、辛い体験をしている。だから、今の仲良したちから外れたくない、と思っているのだ。
仲間はずれになると、自分の存在意義さえなくなってしまったように感じることがある。
だけど、私たち生まれてからここまで、いくつの仲間と出会い、いくつの仲間と別れてきたことか。
そう思えば、今、良い仲間に出会えないとしても、この先、すてきな仲間と出会うチャンスは山のようにある。
わたしたちは楽しみな旅の途上にいる、と考えられないか。


私は、ダヒョンや周囲の友人たちの言葉に耳を傾ける。
この物語(が正解かどうかということではなく)の存在は、同じように窮屈な思いをして躓きかけている若い読者たちの、もうひとりの仲間になりそうだ。
あるいは違うステージをみつけるための足掛かりに。
そうなるといいな。


チェリーシュリンプとは、小さな赤いエビ。
かよわそうだけれど、脱皮を繰り返して成長する逞しい生命体。
「私と似ている」というダヒョンだけれど、最初と最後では「似ている」の意味が少し違う。
こんなに小さなエビでさえ、見る側の気持ちによって印象が違ってくるのだもの、相手が人であればなおさらだよね。