『台湾海峡-一九四九』 龍應台

 

 

共産党と国民党が戦った中国内戦は、共産党が勝利して中華人民共和国が建国された。
それが1949年だ。
この作品が生まれたきっかけは、「家族の歴史を知りたい」と、著者のもとへ息子が訪ねてきたことだというから、これは個人的な物語だろう、と思って読み始めた。
実際、著者の母が故郷を捨ててひとり台湾に出国するところから始まる。乳飲み子の長男を抱え、さらにお腹の中には次男がいた。
だけど、そこから、内戦に翻弄された無数の人びとの物語が始まるのだ。著者は、この時代を生き延びた多くの人々の言葉を聞き取り、それぞれの物語を描きだす。
「どんな香港人(台湾人)も何かしら自分の物語を持っている」
その物語は……さらわれて騙されて兵隊にされた少年たちのこと。
軍隊内外の虐待。虐殺。
過酷な旅を続ける疎開少年少女たち。
逃げて逃げて辿り着いた先にある収容所。
一時的な別れと思っていた親と子、兄と弟は二度と会うことは叶わなかった。
長春無血解放という言葉の嘘。
こんな言葉にしかまとめられないのか、と嫌になるくらいに、人々は、内戦という言葉にずたずたにされて、無念の言葉さえ吐くこともできずに死んでいったのだ。


第6章、7章は、おもに第二次世界大戦下の日本軍による捕虜収容所で起きていたことが記されている。
これまで充分すぎるほどひどいことを読んできたつもりだったが、甘かった……
何度も耐えられない、と思ったのは、これが日本人だったから。
ひどい、という以上に、恥ずかしさ、申し訳なさが混ざり、直視することが苦しくて仕方がなかった。


人間がもてるかぎりの残虐さを「戦争」という建前のもと思い切り解放したら、何が起こるか。もうとどまるところなんてどこにもない。


……でも、途中で読むのをやめようとは思わなかった。
こんなふうに言ったら憚られるかもしれないが、あえて。
数えきれないくらいたくさんの人々の声は、(惨い物語なのに)歌のように感じたし、時々、牧歌的なユーモアさえ感じた。
文学者である著者の筆力だろうか。生き抜いた人びとの持つ、心のゆとりだろうか。


巻末に、「わき出ずるもの」と第して、刊行後に著者が受け取ったたくさんの手紙の一部を紹介している。
その後の六十年間を生き抜いてきた人々が、この本に誘われて自分自身の一九四九年を語り出す。あるいは、本にはまだまだ語られていないことがあるじゃないか、と。
作品の中で著者は、こう言っている。
「私が伝えられるのは、「ある主観でざっくり編んだ」歴史の印象だけだ」
「ときにこう感じることがある。だだっ広い荒野で、山の頂にぽつんと生えた小さな樹の影が、黄昏時の寂しい空に一本映っているなら、それで十分なんだと」
確かに、わたしは、樹の影をみせられた。でもそれは、地面の下におおきく張った根があることを想像できる樹だ。


「どの戦場にいようが、どの国家に属そうが誰を裏切ろうが、ましてや勝者だろうが敗者だろうが、正義不正義をどう線引きしようが、どれもこれも私には関係ない。すべての、時代に踏みにじられ、汚され、傷つけられた人たちを、私の兄弟、姉妹と呼ぶことは、何一つ間違ってないんじゃないかしら?」
という著者の言葉を噛みしめながら、本を閉じる。