『故郷の廃家』 饗庭孝男

 

故郷に残る饗庭家の歴史を著者は辿る。
琵琶湖を中心にして滋賀県東西の地理的な特徴を絡めながら、弥生時代からの歴史を辿っていく。
膨大な資料にあたり、歴史のなかのぼんやりとした人びとの流れの中から、「饗庭」家の祖先が微かに見え始める。その末にある、祖父の人生、父の人生、母との出会い(母の家)、そして、著者自身と二人の兄たちの物語は、大河物語のようでもあり、素朴な自伝のようでもある。


「自らの過去を遡ることは、これら己れをとりまく多くの存在たちの生きた歴史をその遠近法のうちに置くことなのだ」
と著者はいう。
村長職を三十歳で退き、あとは徒食に明け暮れ、名家であった家を一代で傾けた祖父。
学者肌だった父は進学を諦めて教壇に立ち、一家を養い、親の借金を背負いながら、こつこつと学業を続けた。
秀才の誉れ高かった二人の兄の無念の早世。そして、病弱だった自身のこと。
戦争や天災、関わり合った人々のこと。


「昔は今津の南のはずれから、古い紅殻格子の家が並んでいた。それは魚屋、つくだに屋、竹細工商と、ありふれた古道具屋だったが、私は湖畔のこうした町の雰囲気が好きだった。家並の間に一瞬、湖が見えて光る……」
おりおりに差し挟まれる、湖畔の里の鮮やかな風景のなかに、人びとの姿が浮かび上がってくる。
家の歴史とは、人々の失意の連なりだろうか、とふと思うが、この文章を辿ることは快かった。それは、一家の暮らしが郷土の風景に密接に結びつき、そこに喜びを感じるからだろうか。それから、嘗ていた人たちに対する懐かしさと敬意によるものだろうか。


「一つの家の歴史は、他の家の歴史と相をことにする。そこには異なった心性の層がトポロジーを形づくる。いくつもの心性が円を重ね、重なった部分から共通したものが生まれ、やがて地方の心性となり、さらに大きな地勢の共同体の心性をつくり出していく」
遠い昔の漠然とした地域の集合体から語り始められ、一筋の川が鮮やかに浮彫になってきたように思われた著者の家の歴史は、細部に渡れば渡るほど、再び、大きな共同体に帰っていくような感じだ。


「歴史は空しい。しかしいかに小さくとも一つの家の歴史を辿り直そうとすることは誰にとっても自己確認と証明の一つの方法である」