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Ⅰ巻から三年が経っている。
いがみ合っていた子どもたちが、大きな事件を経て共にピクニックを楽しむまでになったあの頃から、もう三年もたっているのか。
ケヴィン・マッコイとセイディー・ジャクソンは三年ぶりに再会する。
二人とも、もう子どもではない。
二人は、大きな通りを挟んだ、「赤い煉瓦の長屋」に住んでいる。歩いて数分の場所なのだ。
けれども、三年も会えなかったのは、ここが、ほかならぬベルファストだからだ。
300年前から続くカトリックとプロテスタントのいがみ合いの子どもたちなのだから。
二人の住まいは、距離は問題ではなくて、遥かに遥かに遠いところにあった。
ことに、この三年間は激動の時代だった。カトリックの区画とプロテスタントの区画の間にはバリケードが築かれ、爆弾テロが激しくなっていた。
ケヴィンとセイディーがもはや子どもではないように、彼らの幼友だちも、ずいぶん変わってしまった。
三年前に、互いに惹かれるものを感じていた二人だったがとうとう恋に落ちる。
不穏な世界で、二人は、二人だけの大切な時間を過ごす。
互いに向ける二人の笑顔が好きだ。限られた時間を大切にしようとするふたりの思いが好きだ。
けれども、彼らの胸の内にある一番大切なもの(信仰)が違うこと、相手の大切なものがほんとうは理解できない、ということは、読んでいるこちらを、不安な気持ちにさせる。
ただでさえ、まわりの目の厳しさを思えば、前途多難な二人なのに。
二人がつきあっていることに、家族をはじめ、まわりの人間たちも気がつく。
自分の敵に激しい感情を燃え上がらせる人びとにとって、「敵」と付き合う人間は、きたない裏切り者なのだ。
幼いときに無邪気に連れだった友はもういない。
どこにもちくちくするような憎しみが満ちている。
宗派を越えて互いの気持ちを理解しようとする人、力を貸そうとする賢い人も出てくる。
けれども、「裏切りもの」を憎む人間にとって、「裏切り者」以上に、それに力を貸す人間は許せないのかもしれない。
こっちはこっちの区域内で、むこうはむこうの区域内で、平穏にくらすほうがいい、と考える人。
アイルランドの統一は暴力によるしかない、と考える人。
人と人がいがみ合うことを神は望んではいないのだ、と考える人。
仲良くしたい人たちを助けることが別の導火線に火をつけることになる、と考える人。
様々な考え方、立場の人たちが現れて、愛し合う二人を取り囲む。
毎日のように誰かが殺される。人びとは異常な日々に慣れてしまう。けれども、明日殺されるのは自分のよく知っている人、大切な人なのだ。
どこにどのように動いても、どこかで誰かが傷つかずにはいられない八方塞がりのなかで、恋人たちは、これからどうしたらいいのだろう。
最後の章の章題は「船出」