『ふたりの世界5 ウェールズの家族』 ジョアン・リンガード

 

ふたりの世界 5 ウェールズの家族

ふたりの世界 5 ウェールズの家族

 

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地主で雇い主のエルズリーさんが突然に亡くなった。
やっと安住の地を見付けたように思っていたケヴィンとセィディーは、あっというまに仕事も住まいも失ってしまった。
18歳と17歳で駆け落ちした二人、食べていくのがやっとで、無我夢中で、できる仕事はなんでもやって生きてきた。そうするしかなかった。
どんなに誠実で努力家であっても、積み重ねた経験がないこと、後ろ盾がない事、資金がないことに、世間は冷たかった。
後に出てきて、ふたりと友だちになる陶芸家夫婦(素敵な人たちなのだ)の自給自足の暮らしは、一見、ケヴィンとセイディーの暮らし方に似ているけれど、彼らはもともと持てる人たちだ。彼らにとっての自給自足は、選択肢のないケヴィン達とはまったくちがうのだった。


次々におそいかかってくる火の粉を頭から振り払うので忙しい夫婦。
そのなかで、ふたり、今まで、一番大事なことを避けて通っていたことに気がつくのだ。


ケヴィンとセイディーは、ベルファストでの暮らしを棄てた。カトリックプロテスタントとがいがみ合う暮らしを棄てた。けれども、二人とも、自分たちの信仰を捨てたわけではなかった。捨てられるはずがない。
愛し合う二人は、よりそいあい、家庭を作っていくために、相手の信仰を無視しようとしてきた。見てみぬふりをすることで、うまくやろうとしていた。
けれども、それで本当にうまくいくのか、いいや、うまくいってしまっていいのか……ある事件をきっかけにして、本気で考え始める。


彼らの親たちも歳をとった。ケヴィンの母親もセイディーの母親も、ずいぶん小さくなってしまった。
ことに働き者で優しかったケヴィンの母親、愚痴も言わずに9人の子どもを育ててきた母親の、これまで表に表れなかったものが、にじみ出て、広がってきている感じが痛ましかった。
彼女は、夫を頼り、夫の死後は長男だけを頼りにして、それを当然として生きてきた。すがる柱がそばになくなれば、心不安定になり、ごく普通に生きていくことさえ難しくなっていく彼女が哀れだった。


それにしても、これが児童書だということに、驚いてしまう。
最初の巻では、主人公たちは、読み手であろう子ども(12~13歳くらい)と等身大だった。
けれども、その後、主人公たちは、読み手の年齢をさっさと追い越し、どんどん成長する。
この巻では、彼らは(実際にはまだ若いが)すでに家庭を持ち、子どもを育てている。
流れ続ける時間のリアルさを今更ながらに意識する。
主人公たちの成長は、年若い読者の想像力もきっと引っ張りあげていく。


しかも、彼らの周りの人びと、大人たち、老人たちは、何と生き生きした姿を見せてくれているだろう。そして、なんて沢山の価値観、暮らし方。
「ふたりの世界」が縦にも横にも広くて大きいことに眩暈がしそうだ。


物語はこの巻で完結するのだけれど、ちっとも完結した気がしない。
ケヴィンとセィディーはまだまだ先の見えない旅の途上にいる。
解決しない問題も大きいのが差し当たって一つ。いや、二つ、三つ?
これでほんとうにおしまいになってしまうの?
いやいや、おしまいになんかなるはずがない。
命が続く限り、様々なことが起こり、押し寄せてくる。どこまでも続いていく。
解決のしようもない深刻な問題も、生きている限り、無数にあるはず。
家族の姿もどんどん変わっていくことだろう。
二人は旅を続ける。きっと元気に続けていく。
いつか、ふたりそろって、アイルランドの地をもういちど踏むことができたらいいな、と願いつつ、この家族を名残惜しい気持ちで見送る。

 

ふたりの世界1 ベルファストの発端

ふたりの世界2 バリケードの恋愛

ふたりの世界3 ロンドンの生活

ふたりの世界4 チェシャ―の農園