『聞け!風が』 アン・モロー・リンドバーグ

 

1931年のリンドバーグ夫妻による太平洋調査旅行について書かれた『翼よ、北に』 から二年。
1933年、夫妻は大西洋航路開発のための調査飛行を決行する。これは、その帰途最後のいちばん長い航路、アフリカから南米への飛行の記録である。


飛行の記録、というより、その手前で……。
まず、アフリカのダカールからカーボ・ヴェルデ諸島のサンティアゴ島へ飛ぶが、その後、予定が狂い始める。
サンティアゴ島からブラジル北東部ナタールへ一路飛ぶ予定だったが断念。
一旦ダカールへ戻ろうとするが、これも断念。
南下してバサーストに飛び、そこからナタールを目指すが、ここで足止め。
この本はその十日間の、ほぼ「待ち」の記録なのだ。
夫妻をこのように行きつ戻りつさせ、足止めしたのは、その地の強風、渡航予定地の黄熱病の流行、そして、最後の出発地の完全な無風によるものだった。
一昼夜の飛行にそなえて、月の満ち欠けも無視できなかった。
待って待って、やっと飛び立ったときの解放感。


空の中にただ二人というのに、前後のコックピットで、ひとりひとりは孤独だ。
待ちも孤独、飛行も孤独、孤独だからこそに深まる、アンの内省の言葉が心に響く。


待つということは、宙ぶらりんの状態、人生から遊離している状態だ。
「いいえ――わたしは自分に言い聞かせた。待つことは、当の人間がそれを受け入れることによって初めて人生とつながるんじゃないかしら」


アンの孤独は、夫チャールズの孤独と並んである。相手の孤独を互いに尊重し合い、侵食しあわない感じが好ましい。
待つことを受け入れることによって、初めて人生とつながれるという、アンの内省の言葉を思い出しながら、二人ながらの孤独を受け入れることで、この夫婦は結びついているのかもしれないと思った。
そして、二つの孤独をめぐる遠い彼方、通信機器からの応答の声はなんとも温かい。自分は待たれている、ということを都度、発見する感動。
私たちを世界と結んでいるのは何だろう。


美しい文章だった。海を空をそして陸地を描写する言葉が、飛ぶことで伝わってくる振動や傾きのようなものが、気持ちを高揚させる。
完全な空の孤独のはるか遠く、人びとの暮しの気配が感じられたとき、本読む私にも、なんと懐かしく思えたことか。