『図書館がくれた宝物』 ケイト・アルバス

 

1940年、戦争の夏。たった一人の身内である祖母を亡くした三兄妹(ウィリアム12歳、エドマンド11歳、アンナ9歳)は、弁護士の提案で、小さな町に疎開する。
ロンドンより安全であるし、疎開先家族が、今後引き続き三人の後見人になってくれるかもしれない、という苦し紛れの提案に驚くが、後ろ盾のない子どもたちは、そうするしかなかった。


戦時下の田舎町の閉塞感が伝わってくる。敵国への憎しみと、戦争協力の心が、人々を強く結びつけているが、他者を厳しく弾き出そうとするエネルギーのほうが心に残る。
空襲や戦闘があるわけでもない、目の前で人が死ぬわけでもない、長閑な田舎町であるのに、締め付けられるような気持ちで戦争を意識させられた。


三人兄妹は本が好きだ。
家庭に恵まれなかった三人(祖母は厳格な人で、育った家は家庭とはいえなかった)は、本を読むことで「家庭」というものを知った。本が家だったのかもしれない。
だから、疎開した町で図書館を見つけた時は嬉しかった。
三人にとって、図書館は本当に避難先になっていく。


末っ子アンナは『小公女』を毎日少しずつ読み進めているが、彼女が何処を読んでいるかを見ると、三人の体験がそのまま形を変えて『小公女』に重なっていくようだった。
「ミンチン先生がセーラにやさしくするのは、セーラがお金持ちだからだと思うの」
とのアンナの言葉は、疎開っ子たちをあずかる(一部の)大人たちの態度と重なる。
小公女セーラの周りの人々は、疎開児童から搾取し扱き使おうとするあの人や、四角四面の厳しい教師とも重なる。
別の方角から見れば、大人たちも戦争に翻弄され、余裕がなかったのだろうけれど。結局犠牲になるのは、子どもたちなのだけれど……。


性格も興味も行動も違う三人は、それぞれなりに悩み、学び、成長していく。
それは喜ばしい反面、痛々しくもある。
子どもが安心して子どもでいられる当たり前は、案外叶わなくて、簡単に取り上げられてしまう。物語のなかでも外でも。
ハッピーエンドのうれしさって、普通の毎日が、きっと明日も明後日も続くって信じられることなのだね。