『真昼のユウレイたち』 

 

四つの短編に共通するのは、幽霊が出てくること。語り手(小学生)は、それを最初は幽霊とは思わない。ちゃんと実体があるし、普通に会話しているし、握手だってできるのだから。
幽霊たちは、思い残すこと、とりわけこの世に置き去りにして来た大切な人のことを心配して、ここに現れる。現れる、というよりも、家族として、あるいは古い友だちとして、傍らにいて、普通に生活している。

 

独り暮らしを始めたばかりのおばあちゃん、癖のある三人組に意地悪をされている少女、「おばあちゃん」ではなく名前で呼んでほしい老女、父の再婚により新しい家族を始めつつある少年……などなど。
一見なんでもなさそうに暮らしている人たちだけれど、老いも若きも、ここに至るまでの人生があり、誰にも言えないまま胸におさめてきた(でもおさめ切れていない)思いがある。
一人ひとりの話を聞いてみれば、そこかしこに口を開けている小さな暗がりに気がついて、はっとする。口に出すこともできず、無理やり押し込めてきた思いは重なって、放っておいたら、手が付けられないほど重たくなっていくのではないか。
だから、幽霊はやってきた。
幽霊たちのやさしさがしみじみと温かくて、人知れず静かに苦しんでいる人たちが、過去からこんなにも大切に見守られていることに、ほっとする。目に見えても見えなくても、あの人は、どこかできっとこちらのことを気にかけていてくれるかもしれない、とも思えて。


ただ、そばにいるしかできない幽霊と当事者の辛さとの間を、とりもつような存在が、語り手の生身の小学生たちだ。
幽霊の思いと、子どもの思いとが、出会うとき、見た目少しだけ(ほんとは大いに)動く何かが気持ちがよい。


この優しい物語たちのそこかしこに、どきっとする言葉が、さりげなくちりばめられていることも忘れられない。
「だいたい、校則のほうがおかしいよ。児童憲章にあってないよ」
「みんながおなじことをしなきゃいけない、っていう悪しき習慣を身に着けさせるのが学校ってところだから……」
「戦争にならないためにはどうすればいいの」「よく見張ってなきゃならないわね。政府のやることに無関心でいることがいちばんいけない」