『アーモンドの木』 ウォルター・デ・ラ・メア

 

その実体がはっきり書かれているわけではないのだけれど、亡くなった人の幽霊や、人ならぬものたちの気配を、そこかしこに感じる。(そういうことなんだろうな、と思いながら読む)

根深い恨みや、後悔などに縛られ、囚われているのは、生きている人間たちだ。
ちょっと不気味で、ときにぞっとすることがあるけれど、それは、生身の人間たちのしがらみ由来で、深入りすればするほどに、救いの望めない暗い場所に一人落ちていくような気がする。
それに比べたら、肉体をもたない霊たちは、解放されていて自由で、ときには朗らかなくらいではないか。
死後、人の身を離れて、生きた人たちの間を漂うものたちが、現世に心残りがあるとしたら、それは悔いや恨みではないのかもしれない。
人のまわりに留まっているそれらの気配は(これから生まれようとするものとともに)、生身の人間によりそい、手を差し伸べようとしているようにも思える。


それから、人から軽んぜられる人たち――言葉や行動が一人前とは見られないような人たちには、彼らだけが見ている(知っている)少しばかり輝かしい秘密がある事を、わたしも共犯らしくして黙っていよう。


本当は、あと味が悪い、と言うべき物語もあるのだけれど、そう言い切れないのは、そこに宿るのが、冷たいものばかりではなかった、と思えるせいだ。


目をやれば、まわりに控える美しい風景。息つまるような出来事が続いたあとには、何度も慰められる。
それは、決して特別な景色ではない。むしろありふれた風景とも思えるけれど、デ・ラ・メアの手にかかると、魔法がかかる。
たとえば、こんな風……。
「ハリエニシダの茂みには妖精たちの緑の館が隠れ、冒険好きな目を向ければ、腰の曲がった小人たちが耕地の畝をよたよたと伝い歩き、魔法にかかったコマドリたちが跳びはねる」
「長く続いたざわめきも夕闇に衰える陽光もろとも静かに消えた――山向こうの低い浜辺で、あの世からの波が静かに砕けたように――ひっそりとした中で、時そのものがため息をついたようだ」


随所に豊富に配されたエドワード・ゴーリーのペン画もよかった。(独特の気配。あの暗がりにきっと何かいるにちがいない……)


この本には七つの短編が収められているが、トリを務めるのが、大好きな『ルーシー』なのがうれしい。ふくふくと満たされて本を閉じた。