『ドアのノブさん』 大久保雨咲

 

コートのそでぐちから落ちたボタン、玄関ドアのノブ、カンナで削り落とされた木片、片方だけ短くなっていく赤青えんぴつ、裏返しの靴下の片方。
みんな、この本に収められた五つの物語の主人公たち。
人の生活の道具としてそれぞれ重宝に使われていたときもあったのに、いったん人の目のまえから消えたらもうその存在さえ忘れられてしまいそうなものたちでもある。


『ドアのノブさん』のノブさんは、玄関ドアのノブだった。だれかが家を出るときも帰ってくるときも「みんなかならず、ノブさんとぐるーんとあくしゅをして」いく。
あくしゅするたびに、それぞれの家族の気持ちが手からノブさんに伝わってくる。嬉しい気持ちも悲しい気持ちも。
家族は気がついていなくても、ノブさんは、気持ちを共有する家族の一員なのだ。


『線のむこうがわ』はカンナから削り落とされた木片の旅のお話。誰にも顧みられない(むしろ人にとってはゴミでしかない)小さな小さな木片は、嘗て大きな森だったころの記憶を忘れていない。
旅の途中で出会った布の端切れが語った言葉が心に残る。
「人間はいつもそう。線をひくのが好きなのね。あっという間にあっちがわとこっちがわに分ける。あっちはドレス、こっちはハギレ」
私も線をひきひき暮らしていたんだねえ。線のむこうのことなんて考えたこともなかった。
それだから、『背中あわせのともだち』の赤青えんぴつの話はちょっとうれしい。
今更だけど、ぱっぱと捨ててわすれてきたものたちに申し訳ない気持ちになってきた。


『裏がわのナマズ』。ナマズは、脱いだときに裏返しになってしまったどろんこの靴下のこと。靴下を裏返しにしたとき、つまさきの縫い目の両端から飛び出した糸、言われてみればひげに見える。
小さな子のみたて遊びをこっそりのぞいているような気がして、楽しくなった。


日の当たらないところに押しやられてそのまま忘れられていくような小さなものたちが、それぞれ日の当たる場所に送り出されたような感じだ。
みんな個性的で素敵だね。