『海のむこうで』 M.B.ゴフスタイン

 

この本には五つの小さな物語が収録されている。
小さな物語は、物語というよりもある日の一場面の切り抜きみたいな感じで、物語の外でも(始まる前も後も)丸顔の素朴な人たちが、このまま地道に生活しているにちがいない。
しばらく前に読んだゴフスタインの創作についてのインタビュー(『ゴフスタイン つつましく美しい絵本の世界』より)の、
「主人公たちは実際に紙の中に存在してすでに何かが起こっていて、私自身は「come out,come out,(出てきて、出てきて)」と、彼らを引き出している感じなのです」
との言葉を思い出して、この本の中の人たちは、日々の暮らしからほんの一時呼び出されて、紙の上に少しだけ姿を見せてくれたのだなあ、と思う。


海の向こうのどこかの家の玄関で、椅子にすわったおじいちゃんが木の塊から小さな人形を掘り出している。その横にわたしもすわっていいかな。手もとをみていてもいいかな。
木を彫る音を聞いたり、匂いを嗅いだりしたいのだ。おじいちゃんはきっと手を動かしながら、聞かせるお話を考えているかもしれない。


一方、こちらのお話では、短い文章のなかで「I love you.」が繰り返し繰り返し、出てくる。韻を踏むかのように。けれど、どれもが、かけがえなく特別の、たったひとつだけの「I love you.」。
相手がお父さんでも、帽子を被ったこりすでも、大きな木でも、そうっと寄り添い、抱きしめて、しみじみと感じる「I love you.」だから。


余白の多い画面、細い線で描かれた人物の表情はあるかなきか。添えられた文章もそっけないくらいに短い。どの場面でも人たちは、ゆったりと、のびのびと、自分のペースで動いている。
その姿が、いっそ清々しいくらいで、思わず自分の居住まいを見まわしてしまう。
たとえば、スカートの穴にお弁当を入れて出かけて行くソフィーのように暮らせたらなあ。
しがらみだらけの暮らしに不平を言いつつ手放す勇気も術もない私だから、絵本のなかで、いともあたりまえに、無理なく自分のペースで暮らす彼女の存在に惹かれる。


この本は、今まで邦訳されていなかったゴフスタイン初期の作品集とのことだ。
いつかゴフスタインが木ぐつの船に乗せて海に流したブーケが、「今日という日に」届いたようなうれしさ。
丘の上の風車(ミル)が回り、鳥が飛んでくる。