『楽園のむこうがわ』 ノリタケ・ユキコ

 

表紙の絵をみれば……
手前の美しい湖(?)の先に森がある。木が茂って、たくさんの鳥や動物が(それから白い服の少女が)見える。きっと、ここが楽園なんだ。
手前の岸辺に、黒い髪の青年と黄色い髪の青年が寝そべっている。
彼らは、ここに自分の家を建てるつもりなのだ。


見開きの右のページは、黒い髪の青年の場合、左のページは黄色い髪の青年場合の家づくりを、同時進行で、見せてくれる。
春。
青年たちは、それぞれ、森に入っていく。森の木を切ることになるのだけれど、左ページの青年は、必要な分だけ。右ページの青年はたくさんの木を切った。


左ページの青年は、少女と力を合わせて小さな家を建てる。
右ページの青年は、重機などを使って大きな家を建てる。家のまわりには車が入ってこられるように道路もできる。


ぐるりと一年が巡って、また春がやってきた時、左ページには、前の年と同じように森があった。動物や鳥たちがたくさんいる。森の中には、ぽつぽつと小さな家が建ち、人が住んでいるのがわかる。
右ページは、大きな町だ。沢山の家が並び、運動場や学校もある。ここが嘗て森だったなんてどうして信じられるだろう。


左右、二人の青年の家づくりが並んでいるから、比べてしまう。
もし、左右二つの物語が、個別に差しだされたら、こんなに落ち着かない気持ちにはならなかった。
たとえば、左ページの物語だけなら、森のはずれ、湖のほとりに小さな家が建つ、心楽しい絵本と思ったはず。
それから右ページの物語だって、一つの町はこのようにして生まれるのだね、と楽しく読んだことだろう。


左右に二つ並べると、心はザワザワしてくる。
左ページは、森の中から少しだけもらって、慎ましく身の丈にあった暮らしが素敵だと思うのだ。
だけど……すぐ右側に別の絵をみせられると、左ページの暮らしはどんなに寂しいだろう、と思ってしまう。不便さも嘆いてしまう。この暮しを選び取るのは大変なことだと思う。
私は、右ページ(町)に属しているのだ。目の前に湖があるのにプールで泳ぎ、船の上から網を投げて大量の魚たちを一網打尽にする。電灯が眩しすぎるくらいの夜がある。そういう暮らしだ。森の動物や鳥たちはいったいどこにいってしまったのだろう。