『水ぎわの珍プレー』 村上康成

 

 

川で、湖で、海で、海外で、著者は釣りをする。
この本は、見開きの右ページにイラスト(主に魚だけれど、そうではないものも)、左ページにエッセイを配したイラストエッセイ集だ。


釣りの話を読むのって、どうしてこんなに楽しいのだろう。わたしは全く釣りをしない(できない)のに。
川も湖も海も……およその水場が、人の生活圏から距離をおいてゆったりと広がっていることからくる解放感だろうか。
そして、そういう舞台の上にあがる釣り人の喜びが、こちらに伝わってくるせいだろうか。


日本の川で、イワナにあう。黒ずんだ魚体ににじむような朱点に、「生きる事のみを全うする美」を見る。


釣りの師匠に一番学んだことは、「あくせくしない」こと。「ゆったりと自然を愛でる時間の尊さ」と。


月見草の花を見た事があるだろうか。数限りなく。でも、それが咲く瞬間を見た事があっただろうか。「夕方、一瞬に咲く」のだそうだ。見守っているつもりでも、その一瞬を見逃す。


湖で著者が釣った魚が、なぜ、キタキツネのものになり、カラスのものになり、最後にオジロワシのものになったのか。
アオサギが溺れる(!)ところに出くわしたこともある。
湖での話は、愉快な童話をひとつ読んだような楽しさだ。


鯨の鳴き声を、乗っている船が共鳴することで聴いたことなど、短い文章から、声にならない感動が伝わってくる。


モンゴル釣行では、オオカミの声とともに移動するキャンプの話。
星の王子さま」のような遭難から救われた話。
ロッキー山脈では険しい山道を馬で登っていく(赤剥けのお尻の)話。
モンタナでは、カワウソと焚火をした話。
などなど、海外での釣りの話は、背景や道中に魅せられる。


大好きな、村上康成さんの夏の絵本に、『星空キャンプ』がある。
娘さんが小さい時に、家族で大きな森でキャンプをしたときの体験が日記ふうに描かれていて、何よりも自然の大きさや、大きな自然の中でごくごく小さい人間でいることの嬉しさに、ほーっとため息をつく。
絵本を閉じながら、こんなキャンプがしたいなあ、できたらなあ、と思うのだ。
この本『水ぎわの珍プレー』でも、そのキャンプの思い出が語られている。
家族でオレゴンやモンタナでキャンプをした……ああ、そうか、あの絵本の舞台はモンタナの森だったのか。
キャンプを訪れた野生の鹿たち。イトトンボの大群の中にいること。
一章(1ページ)の短いエッセイのなかから、絵本の静けさ、美しさが蘇ってくる。


各章ごとのカラーイラストが美しい絵本のようだ。生きものたちは、時にひょうきんそうで、とぼけているようで、実は自然の中の哲学者。のようにも見える。