『かえりみち』 森洋子

 

かえりみち

かえりみち

 

 

登下校にかかる時間は、まっすぐ歩けば十数分。でも、帰り道は、果てしなく遠かった。
どぶ板の上や、歩道の縁石を渡り、階段の手すりを馬乗りで昇り……
そのとき、その子は、この世界にいたのかな。そもそも、見た目通りの子どもだったのかな。


この絵本は、(たいていのページでは)右のページと左のページが、鏡のように反転して描かれている。
それは、その子が学校から家に帰りつく途中の風景で、左右同じ景色(のはず)なのだけれど、右は、わたしたち誰もが見ている普通の世界。左は、その子だけが今見ている世界なのだ。
例えば、(右)商店街の路地は、(左)切り立った峡谷で、その子が渡っているのは、側溝の上のどぶ板ではなくて、三千メートルの谷を見下ろす、とびとびの岩なのだ。
電柱は、丈高いサボテンになり、街灯は、木に絡まる蔓の先に咲いた大きな花、電線にとまったカラスは、大きな怪鳥になる。
下校っ子は、千年前の黄金めざして、ジャングルの遺跡を進み、ワニがうじゃうじゃする川の細いふちをそろそろ歩き、宇宙船から飛び降りる。


何かの気配を濃厚に感じる鉛筆画。空気は、ゼリーみたいに重そうだ。笑っているような潰れているような人の顔は、少し怖い。
右半分のページは、わたしたちが普通に見えている世界、のはずだ。商店街で、銀行や焼き鳥屋があり、神社の石段があり、線路の際にはフェンスがある。
だけど、左のページの不思議な世界と並べると、おなじタッチで描かれた不思議の続きのような気がしてくる。左のページにいるへんてこな生き物たちが、ぺージを越境して、現実の世界にもふわりと現れるような気がする。
あの後ろ姿のおばあさんはほんとうにおばあさんなのだろうか。あの自転車の荷台に乗っている箱から何かが出てくるのではないか。あの屋根の下、あの横丁、あのマンホールのふたの下……


ページをめくるごとに、子どものころのたくさんの帰り道がよみがえってきます。