『地図を広げて』 岩瀬成子

 

地図を広げて

地図を広げて

 

 

鈴の母が亡くなった。
母が鈴を父のもとに残して、弟の圭だけを連れて家を出てから、四年。その間、とうとう生きている母には一度も会わなかった。
鈴は中学一年生。圭は小学三年生。
そうして、圭が家に戻ってきて、父と鈴と圭、三人で暮らし始める。
けれども、だれもお母さんの話はしない。
いや、話せないのだ……


鈴は、置いていかれた子どもだった。そのことが、この四年間、ずっと静かに彼女を傷つけていた。
おかあさんが亡くなって初めて自分はお母さんのことを何も知らなかったと気がつく。
「お母さんは自分の感じていたことを少しでもわたしに言ってくれればよかったのに」
……もしかしたら、家族みんなよく似ているのかもしれない。「言ってくれればよかったこと」を実際に言うことがへたくそな家族なのかもしれない。
だから、いつまでたっても、ばらばら。もしかしたら「ばらばら」同士ということで、細々とつながっていたのかもしれない。


語り手は鈴。鈴は考える。
一緒に暮らしはじめた弟のこと、子どもたちに気を使うおとうさんのこと、そして、亡くなったおかあさんのこと。
学校の居づらさのこと、気にかかる友だちの事、消極的にではあるが入ろうと思っている文芸部のこと、
鈴のそのときそのときの気持ちが丹念に、しかも絶妙な表現の仕方で描かれている。
だけど、この本の感想を書くの、わたしには難しい……
というより、この物語のあらすじを書くこともちょっと難しい。
鈴の気持ちは移り変わっていくけれど、そこに(確かにとっかかりはあるけれど)大きな事件が起こるわけではないのだから。
鈴の心のうちで語られる言葉は、静かだ。鈴は、激してものをいう性格ではなくて、誰かを責めたりするわけでもなくて、自分のなかから湧き出してくる感情に、じっと耳をすましている感じがする。
鈴の語る言葉を追いかけながら、いつのまにか、わたしもつらつら考えている。


「転校した新しい学校は大きな洞窟みたいな感じがした」
「自分が本当に考えなきゃいけないことは、自分の外側と内側のあいだの溝にぜんぶこぼれ落ちてしまっているような気がしていた。みんなとげらげら笑っていると、内側がしぼんでいくような気がした」
「将来のことをかんがえようとすると、わたしは目の前を薄い布のようなものでさえぎられるような気持ちになった」
鈴が語るのは、こんな言葉の連なりなのだ。


そして鈴の弟、圭。
圭は、ひとりで、地図を片手に、放課後、この町のあちこちを自転車でを訪ね回る。
「だれかがぼくを見つけてくれそうな気がするから」「だれかがね、『あ、圭くん』って見つけだしてくれるんじゃないかなって。そしたらぼくは、ものすごくびっくりするはずなんだ」「だって、その人のことをぼくは忘れてしまっているから」
まるで町のなかで溺れそうな圭。地図にしがみついて、必死で息を吸おうとしているように見える。
人だけじゃなくて、たぶん、行ったことのある場所、覚えのある地名、見たことのある気がする光景を、圭はさがしている。その場所が「あ、圭くん」と見つけてくれるのを待っている。
さらにいえば、圭の後を追う鈴もそうなんだと思う。
なんだ、鈴、そこにいたんだね、と声をかけてくれるのを待っている。
それは、別の言葉になって、あるいは言葉にもならないような気配になって、あちこちに置かれている。地図記号みたいに。
二人の自転車のわだちの下で、地図が広がる。