『クスノキの番人』 東野圭吾

 

直井玲斗は、不遇の人である。とうとうコソ泥で逮捕されるまでに転げ落ちたのは、あちこちで小狡い大人たちにいいように使い捨てられたあげくでもあるが、その彼に救いの手を差し伸べたのが、亡くなった母の腹違いの姉だという柳沢千舟である。玲斗は、この伯母から月郷神社の御神木であるクスノキの番を仰せつかる。


夜、クスノキの洞にこもって祈念すれば願いが叶う。これはただの言い伝え、迷信の類と思っていたが、知る人ぞ知る、大きなヒミツがある。
そもそも、祈願ではなくてなぜ祈念というのか。
繰り返し祈念に訪れる人々の家庭の事情などを合わせながら、クスノキの祈念の秘密も徐々にあきらかにしていく。
柳沢家とクスノキの繋がりも、伯母の千舟にとってなぜ玲斗だったのかということも。


なかなか明らかにならない「祈念」の謎や、あの人この人の抱えた問題が気になって、どんどん読んでしまう。
その日暮らしのいい加減な奴に見えた主人公のイメージが、読み進めるにつれて変わっていくことにも目を見張る。
何よりも、読後の居心地の良さ。
取り返しのつかないことはいろいろやってきたし、解決しようのないもやもやもいっぱい抱えているけれど、そういうことだから、この世は捨てたものではないよね。


人が抱えている思いは、誰かに受け止めてもらいたいことも、誰にも知られたくないこと、言えないこともある。浮かんでは消えて行く、どうでもいい些細なたくさんのことも。
本来わかちがたいものをそういうふうに仕切って分けてしまうことが不自然なのかもしれない。
いろいろなことがあったのだ、物語の登場人物たちには。
そのうえで、
忘れるってことは、「そんなに悪いことでしょうか、不幸なことでしょうか」
と改めて問いかける。
この問いかけを静かに反芻する。
ピアノの音が聞こえる。音楽が聞こえる。


昔、登下校をいつも見守ってくれた学校のシンボルツリー、大きな大きな古クスノキを思い出しながら。