『思い出のスケッチブック』 E.H.シェパード

 

 

おとなになってからも、何の気なしに開いた本の間で、思いがけずシェパードの挿絵に出会ってどきっとすることがある。懐かしさと嬉しさが膨れ上がってくる。
子どもの頃に出会った『くまのプーさん』や『メアリー・ポピンズ』、エリナー・ファージョンの物語の続きのページを見つけたような気持ちで。
シェパードの挿絵は、大好きな物語と一体になって、お話の世界を広げてくれた。
この人の挿絵で物語に出会えたことを心から幸せだったと思う。
「児童文学の世界には、物語と挿絵の「幸福な奇跡のコラボレーション」とも呼べるものがときおり登場します」訳者あとがきの言葉だ。


この本は、78歳になったシェパードが、自身の七歳から八歳の一年間を、ふんだんな挿絵と文章とのセットで、振り返って語る。
そもそも、この本は、シェパードが子どもたちに語ってきかせた話が元になっていて、息子の「それをすべて、文章にし、物語にして」との言葉がきっかけで生まれたのだそうだ。


仲のよい三人姉弟だった。ことにすぐ上の兄はよき相棒だった。
三つの車輪がついた愛馬セプティマス(表紙の右下の絵)は、ペダルを全力で踏めば、いつでも乗り手の気持ちに答えてくれる、いいやつだった。
時々は親も子守りのマーサもまさかと思うような秘密の冒険をしたし、あとから思えばひやっとするような、ちょっと危ないこともやっていた。
厳格な四人の伯母さんたちが暮らす大きな屋敷にあずけられたこともあった。その窮屈さも、七歳の少年には遊びのうちだったのかもしれない。
楽しみは、農場に滞在した夏の日々、クリスマスの朝のこと、ドルリー・レーン劇場(ボックス席!)で観た初めてのパントマイム……
大好きな両親は、このやんちゃ息子をなんとおおらかに見守っていた事だろう。
次から次にこぼれるエピソードに、思わず笑顔になる。
そして、七歳の子どもの背中から、当時(ビクトリア朝時代)のロンドンの風物や人々の様子がくっきりと浮かび上がってくる。
一章一章が、嘗て彼が挿絵を描いたあれこれの児童書の続きの「お話」のようでもある。


作者による序文、訳者によるあとがきで、この物語の後、シェパードは、この本のなかに普通にあった「宝」を、失い続けたことを知った。その悲しみや痛みはどれほどだったかと思う。だからこそらここに描かれたのは、かけかえのない黄金の日々なのだ、切ないくらいに輝かしい日々なのだ、と思う。