『待ち合わせ』 クリスチャン・オステール

 

「会うのをやめて三か月、それでも僕はクレマンスと、未練がましく待ち合わせを続けていた」
これが物語の第一文で、「?」となりつつ、続けて読むと、やはり、僕ことフランシスは彼女と三か月前に別れていて、本人が「待ち合わせ」といっているそれは、相手は何も知らされていなくて、ただ勝手に待っているだけの、あえて言えば、待ち合わせごっこである。
そこにフランシスの友人のシモンが現れる。シモンの妻オドレイは三日前に子どもを置いて突然家を出た。彼は妻の帰りを待っている。
フランシスは、シモンの家で、一緒にオドレイの帰りを待つことにする。その理由というのが、オドレイが帰って来るなら、クレマンスも帰ってくるだろう、と。オドレイとクレマンスは何のかかわりもないのだけれど???
そうしていると、フランシスの留守電に、シモンの妻オドレイからのメッセージが……


フランシスの語り(考えること)は、理屈っぽくて、丁寧すぎるくらいに丁寧だけれど、どこかおかしいのだ。突然、なぜそこからそこに?とあっけにとられる飛躍をみせたり、変な論理、理屈の煙に巻かれそうになる。
ずっとこんな感じの語りに引っ張りまわされ続けて、何だかこちらのほうがおかしいような気持ちになってくる。


登場人物みんなに少しずつ違和感がある。
思えば、みんな「待ち合わせ」をしている。相手が知っているかどうかは二の次の待ち合わせが、混線している感じだ。
これをほどくための鍵は、主人公も知らない大きな待ち合わせの渦中に、主人公もろとも読者もほうりこまれていることに気がつくこと、かな。
どうにも不思議な人たちとお近づきになってしまったような気がする。


最後に物語から立ち去っていくあの美しい横顔の人をみたとき、自分の居場所からずいぶんと離れたところまで来てしまったことに気がついて慌てる。平々凡々と過ごしたその居場所が、愛おしく懐かしく思えてきて、あの人と一緒にわたしも物語から出て行きたい。