『オイモはときどきいなくなる』 田中哲弥(文)/加藤久仁生(絵)

 

オイモというのは、小学生のモモヨのうちにいる雑種の犬だ。モモヨの言葉で、オイモがどんな犬か紹介する文章のいちばん最後が「ちょっとくさい」になっているのが、いいのだ。犬への「くさい」という言葉は、貶す言葉じゃなくて、たぶん誉め言葉じゃないか、と思うのだ。臭いと愛しいは同義語。くさくて、いい匂い、だ。


町にも、人の間にも、もうちょっとゆっくりめの時間が流れていたころの話だろうか……。
犬はぶらっとそこらを自由に歩き回り、帰りたくなったら帰ってくる。家族はそれほど心配しない。
子どももぶらっと遊びに出て、近所の家に上がり込んで、おやつやごはんのおかずをもらったりしている。(近所の家なら、たいていどこの家のごはんの味も知っているというモモヨはつわものだな。)


モモヨの家のオイモはときどきいなくなる。たいてい独り暮らしのお婆さんレオンさんの家にいる。探しにでかけたモモヨはオイモと一緒に、テラスで、レオンさんの手作りドーナツをご馳走になる。カラスのクロキチもお相伴にやってくる。
それは至福の時間、目に沁みるような美しい絵なのだ……


春夏秋冬……ゆっくりと季節が巡っていく。
季節のめぐりになぞらえて、それぞれの人生の時間もめぐっていく。


秋の日にモモヨはつぶやく。
「なんかさー、いやーなかんじにひんやりしてくると、いっつもなんかこのさみしいようなつらいきもちの、なんかいいにおいするよね」
さみしくて、辛くて……でもいいにおい。そうなのだ。この本のなかにあるのはきっとそれ。なにがどうなった、ってはっきり書かれていないけれど、わかってしまう。わかってしまうけれど、胸に残るのは、「なんかいいにおい」なのだよね。


モモヨのつぶやきに、姉のみどりちゃんはこんなふうに答える。
「夏のおわりをかなしむきもちと、季節のうつろいを感じる心を、ものすごく的確に、これ以上ないってくらい頭の悪い感じで表現しててすごいと思う」
物語のあちこちで、会話やモノローグが、センスのよい、おだやかなユーモアを放っていて、こちらをちょっと笑顔にしてくれる。


この町にも、もう本物の冬が来るよ。だけど、ときどきいい匂いがする時間があったらいいな。
草が緑の頃に、あの人と一緒に美味しいものを食べた。犬がうれしそうにかけまわっていた。他愛のない一コマ一コマの重なりが、いいにおいを連れてくる。