『愛がなんだ』 角田光代

 

テルコはマモちゃんが好きだ。マモちゃんにとって自分は便利な女にすぎないってことはわかっている。だけど、気まぐれに声をかけられれば、何を犠牲にしてもすっ飛んで行く。
そんなテルコの日々を追いかけて読んでいると、イライラが募ってくる。そんな身勝手な頼み事は、さっさとつっぱねてしまえ、いいや、早くきっぱりと別れてしまえ、そうしたらすっきりするから、と胸の内でわめきながら読んでいる。


だけど、
「顔が好みだの性格がやさしいだの何かに秀でているだの……」そういうプラスの部分を好きになったわけではないのだという。「マイナスであることそのもの」も、「神経こまやかなふりをして、でも鈍感で無神経さ丸出し」なところも、全部わかっていて、それらをそのまま好きになってしまったのだから、「嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない」とテルコは言い切るのだ。
あるとき、ふと、自分の中に自尊心が残っていることに気づいて驚いたテルコは、「その自尊心すら不必要だと思おうとしていることに、さらに驚いた」という。
この開き直りともちがう、どこかつきぬけた、なんだか透明で静か、ともいえるくらいの境地はいったい何なのだろう。


「愛がなんだ」とタイトルが叫ぶ。
これは愛か、愛なんかじゃないかもとか、そんなことはどうでもいいのだよ、きっと。
利用する男と利用される女。
どちらも自分がしていることも、相手がしていることもよくよくわかっているし、相手が分かっていることも知っている。
そうした二人が投げ合う共犯者然とした目配せみたいなものは、案外あっけらかんとしていて、双方、図太いくらいの凄味があって……そしてテルコ、そのぶれない一途さは、やはり清々しいじゃないか、と言ってみたくなる。