『ラ・ボエーム』 アンリ・ミュルジェール

 

ボエームは、ボヘミアンと同義語で、自由気ままに生きる芸術家を指す語、とのこと。
これは、意気投合した若きボエーム四人衆(哲学者コリーヌ、画家マルセル、音楽家ショナール、詩人ロドルフ)の日々を描写した連作短編集なのだ。
ほとんどいつでも文無しで、たまにまとまったお金が入れば、たまった借金の清算に当てようなどとは露ほども思わず、仲間が集まって、お金が続く限りのどんちゃん騒ぎ、贅沢三昧。
懐が寂しくなったって(ほとんどいつもそんなふう)気にしない、陽気でいられればそれでいい。仲間がいるし、夢がある。
彼ら、夏のキリギリス(「アリとキリギリス」の)だろうか、いつまでも夏ならいいけど、冬が来るよ、地道な生活を目指したらどう?と説教のひとつもしたくなるけれど、聞くわけない。だって、四人とも固く信じているのだ。明日の自分はその道の大家だ。
それぞれ性格は違うのに、四人いっしょにいると、不思議なくらいよく似ている。四人で一つの生き物のように。陽気な小さいモンスターのように。


たまに、燕尾服が必要な会に出席しなければならなくなる誰かがいる。だけど燕尾服なんて持っているわけない、どうする? よき友とのチームワークに舌を巻く。
滞った家賃をなんとかとりたてようとする家主との、幾たびもの攻防には笑ってしまう。「もう十五日なの? そんな馬鹿な! まだ苺も食べていないのに!」
いきつけのカフェに四人、毎日、朝から陣取って、大いに気炎をあげる。あげくのはて、出入り禁止になるのは、もっともな話だ。
そして、恋する若者たちと、気ままな妖精のような美しい恋人たちの物語は、時にはおかしな駆け引きに笑い、時にはロマンチック。たまに、せつない。


しょうもない連中、しょうもない生活、と思うが、沁みるような輝きもある。短い夏を歌いつくそうとするキリギリスの儚い生の輝きかな。


ほんとうに後年大成した(してしまった!)四人のうちの一人は、こう言って振り返る。
「……仕方ないさ。おれは堕落したね。もう上等なものしか愛せなくなっちまった」