『帰れない山』 パオロ・コニェッティ

 

山の少年ブルーノと町の少年ピエトロは、その夏、モンテ・ローザ山麓のグラーナ村で出会い、以来三十年、唯一無二の友だった。
「おまえは、出掛けてはまた帰って来るが、俺は一か所にとどまり続ける」とブルーノはいつかピエトロに言ったことがある。
二人とも、考え方も歩き方も暮し方も、行って来るほど違っていた。それでも同じ山を愛し続けてきた。
ブルーノは、自分も山の中の一部となって。
ピエトロは、遠く近く、見えるはずの山を探して。


ピエトロは、ネパールの村で、ある老人に、八つの山の話を聞いたことがある。
老人は、まず円を描き、その中心点は世界の中心と言われる須弥山だ、という。そこから外へ向かって八つの放射線を伸ばし、それが円周と交わるところに八つの小さな山頂を描く。
「八つの山をめぐる者と、須弥山の頂上を極める者、どちらがより多くを学ぶのだろうか」


「八つの山をめぐる者」には、町を拠点にして、世界中を歩き回るピエトロを思い浮かべる。「須弥山を極めようとする者」には、頑固に一か所にとどまり続けるブルーノを連想する。
老人のいう「どちらが……」という問いには、そんなに簡単に答えられるわけがない。
ただ、どちらにしても、そのようにしか生きられない人間がいるのだ、ということを噛みしめる。


それから、八つの山の中央にいるのは、ピエトロの亡父とも思える。
父と息子。ともに山を愛する者同士だけれど、脇目もふらずがむしゃらに頂上を目指す父と、周囲の風景や生き物を眺めながらゆっくり歩く息子だった。
八つの山は、わだかまりをもったまま死別した父との和解点をさがすように、父の足あとを訪ね歩く息子の足あとのようにも思えた。


情景描写が素晴らしくて、わが家にいながら、はるかな山の上に連れて行かれたような気持ちになる。
「目のまえには夏の光があふれ、生命力に満ちた動物たちの立てる音がする。ところが後ろをふりかえると、そこは、湿った岩場と万年雪からなる、薄暗くて陰鬱な秋だった」
「眼下に見える二つの湖は、遠近の差によって大きさの違いが相殺されて、双子のように見えた」
目をあげれば、崖の上にアイベックス。
澄んだ空気のなかで、森の匂い、草の匂い、雪の匂い、薪の煙の匂いを嗅いだ。
牝鹿が草を踏む音、鳴き声も聞いた。
真冬の夜、静けさを破って響く音は何だろう……
ぼそぼそとした男たちの声が、薪のはぜる音に混じっていつまでも聞こえる。
物語がどこに向かっているにしろ、私は、この物語を読んでいることを存分に楽しんでいた。


大きなうねりがあるわけではない。どちらかといえば単調で、ゆっくりとした物語なのだと思う。
背景に、何事にも動じることない山あるせいでそう思うのかもしれない。
登場人物たちの純朴さ廉潔さ、不器用な誠意などを読んでいると、山の姿に相通じるものがあるような気がしてくる。
希望も、喜びも、ままならぬ思いも、苦しみも、諦めも、山の威容にしんと吸い込まれていく。


帰れない山という、タイトルの意味は最後に知れる。
ここで、再び、八つの山の話が出てきた。そうか、あの話は、そういうふうに考えることもできるのか、と、振り返っている。