『ガニメデの優しい巨人』 ジェイムズ・P・ホーガン

 

『星を継ぐもの』に続く、シリーズ二作目。
月で発見された五万年前の死体(ルナリアン)、木星の衛星ガニメデで発見された二千五百万年前の異星人宇宙船(ガニメアン宇宙船)の残骸、ふたつが結びついて、月で見つかった死体の素性(?)がかなり詳しくわかったのだった。


しかし、まさか、かの宇宙船と同型の宇宙船と、地球人が、ガニメデ付近で遭遇することになるとは……。
それは、ある恒星系で事故にあい、時空の歪みを飛び続けるしかなかったガニメアン船で、やっと太陽系の故郷に帰りついたところだったのだ。(事故は2500万年前、でも宇宙船のなかで過ぎた時間は二十年。)
地球人と、宇宙船に乗り込んだ異星人――ガニメアンが出会う。地球人よりはるかに進んだ文明の持ち主たちに。
初めての異星人との接触に、地球は沸き立つ。


ガニメアンたちは、闘争を知らない温和な人々だった。彼らにとって、過去の地球は、生きものたちが戦いに明け暮れる悪夢の惑星だった。
その時代しか知らないガニメアンにとって、2500万年後の「現在」の地球人の文明は、驚きだった。
ガニメアンの進化の常識として、嘗ての地球の生き物たちは、遠からず滅びる運命にあり、このように知性を得て文明を発展させて、宇宙まで進出してくるということは、どうしても考えられなかったのだ。


『星を継ぐもの』に残された小さな謎、曖昧なままに終わったことなどが、改めて脚光を浴び、新たに発見した数々の証拠と結びついて、よりはっきりした形が現れ始める。


人は、地球上の他の生き物とはどう違うのか。なぜ違うのか。
突き詰めていくと、宇宙の孤児になったようで、なんとも寂しくなってくるが、そこに手を差し伸べられたような感じだ。


だけど……
「温厚で心優しく、豊かな感情を持つ」ガニメアンと、「人類の歴史はそのまま戦争の歴史だよ」という地球人との対比に、だんだん情けない気持ちになってくる。
それでも、地球人の未来は明るいのだという。なぜなら、人間同志がいがみあう歴史は徐々に過去のものになっているからで、いまや人間の闘争本能は未知への挑戦となり、宇宙に向かっているのだから。
ほんとうだろうか。
この本が書かれたのは1978年。50年後の2020年代、月はおろか木星の衛星の探査基地まで建設しているという設定だけれど、現実には、いまだに、わたしたちが挑みかかる相手は人だ。地べたの上で、武器を隣人に向けている、殺しあっている、国をあげて組織だって。
皮肉なのか、祈りなのか、希望に満ちた言葉を読むと、居心地悪くなる。
わたしたちは、何にも変わっていないのだ、と。