『古くてあたらしい仕事』 島田潤一郎

 

姿も中身も本当に美しい本を世に送り出してきた夏葉社。
著者、島田潤一郎さんが、ひとりで夏葉社を創業したのは33歳のときだった。
本づくりも会社経営もまるっきりの素人の著者は、本が大好きだった。過去、出ては消えていった本たちのうち、残ってほしい本、いついつまでも大切に読み継がれていくはずの本を知っていた。
そして、本が売れなくなってきたという現在、売れない理由のうちのいくつかについて、「違うよ」と思ってもいた。


夏葉社の本の発行部数は少ない。ひとり出版社の社長は、日本じゅうの書店に営業にいく。夏葉社の本を置いてくれそうな書店はすぐにわかるそうだ。
買い手の側にしても、夏葉社の本が置かれている書店って、なんとなくわかるような気がする。(夏葉社の本に出会う書店では、往々にして他にも何かみつかる。)


島田潤一郎さんが、夏葉社を起こすことになる理由はいくつかある。
若くして亡くなった従兄や、友人たちの話はそのうちの(大きな)ひとつだ。
「ここに書くのも憚られるくらいのくだらないことが、ぼくたちにとっていちばん大切な思い出なのだった」
「すごく楽しかったねえ」
「涙が出るくらいなつかしい」
著者が、亡き人の事を語るとき、夏葉社の本の姿に重なる。
「手紙のような本」と著者はいう。
「具体的な読者の顔を想像し、よく知る書店員さんひとりひとりを思いながらつくる本」……
だけど、それは、何より、若かった著者とすごく楽しかったくだらない時を一緒に過ごした人たちへの手紙なのだ。


本が売れない、といわれると、そうかなあ、と思う。昔からの本屋さんが次々に閉店しているというのも、そうなんだなあ、と思う。
実際、わが家でも、本を買うための月々の予算は残念だけれど以前より減っている。
少ない予算だから、昔のように、衝動的に本を買えなくなった。
一回読んで終わりになりそうな本は、買えなくなった。
「一回読んだだけではわからないけれど、ずっと心に残る本。友人に話したくなるけど、うまく伝えられなくて、「とにかく読んでみてよ」としか言えない本。ぼくの孤独な時代を支えてくれた大切な本。ぼくが死んだあとも残る、物としての本」
著者が、夏葉社という会社を興したときに、つくりたいと思った本のイメージは、買い手(読者)としての私が手許に置きたいと思う本のイメージに重なる。


町から昔ながらの本屋さんが消えていくのは寂しい。
消えていくのは本屋さんだけではない。いろいろなお店が撤退している。ネットの影響は大きいのだ。
だけど、そんななかで、形を変えて残っていく(始まっている)店舗も出てきている。
取り扱っているのは安価な間に合わせのもの(おおいに重宝していますが)ばかりではない。
本であれ、別のものであれ「手紙」のように手渡してくれる嬉しい店が、あちこちにちらほらと生まれている。
「手紙」は、それを手渡してくれたお店の思い出も含めて、嬉しく心に残ると思う。