『大西洋の海草のように』 ファトゥ・ディオム

 

主人公サリの経歴は(訳者あとがきにある)著者の経歴と重なる。
セネガルの離島に生まれ育ち、ダカールの大学生だった頃に、フランス人の夫と知り合い、共にフランスに渡るが、夫は、彼女が学び続けようとすることが不満だったため離婚。家政婦やベビーシッター(高学歴であっても黒人女性にはそれ以外の職はなかった)をしながら大学で研究・執筆を続けている。
彼女は、故郷の弟と時々電話で話す。彼はフランス(からイタリア)へ渡ってサッカー選手になりたいと望んでいる。


故郷の家々は、一夫多妻、子だくさん、絶対的な家父長制が常識だ。跡取り息子は大切に育てられるが、幼い時から、ゆくゆくはこの大家族を養っていく責任を負わされている。
婚姻は、家と家とを結び付けるためのもの、本人同士には相手を選ぶ何の権限もない。
近代的な教育を受けた人たちは、理不尽な慣習から自由になりたいと願うが、それは、ここでは不幸の入り口のようだ。結果、起こるあれやこれやの出来事に、不快感がこみあげてくるけれど、島の中ではただ、しょうもないこととして忘れられていく。
「わたし」ことサリは、非嫡出子であり、危うく継父に殺されかけたところを祖母に救い出されて、祖母のもとで大切に育てられた。


故郷の若者たちは、サリの弟をはじめとして、渡欧を夢見る。だけど、実際にフランスに渡る故郷の出身者を待ち構えているのは、理不尽な条件のもとの過酷な労働、そして差別なのだ。それでさえ手に入れられれば幸運、と言わなければならないのだろう。
フランスで生き残ろうとするサリの行く手は楽ではない。だけど、伝統と慣習を捨て去ることのできない故郷に、サリの居場所はないのだ。
「……心の平静さを乱されまいと、グローバリゼーションに賛同したくなる。グローバリゼーションが広める物にはアイデンティティも魂もなく、人々の感動を呼び起こすような味わいがないからだ」


たくさんの(実際にあったにちがいない)セネガルの離島とフランスでのエピソードは、ひとつひとつ、重苦しいことこのうえない。
そして、どちらの岸にも漂着できないまま、漂っていくサリの境遇のなんと不安なことか。


といいつつ、この物語(?)は、からりと明るいのだ。
それは、サリが、自分の境遇やふるさとのありようを徒に嘆いていないこと(時にはユーモアに変えてしまう)、それから、遠く離れた祖母や弟に寄せる温かく柔らかい思いに満ちているからだ。


「(この子は)海岸で拾った海草とは違うんだ。この子の脈には水じゃなくて、れっきとした血が通っているんだよ」
遥かな祖母の言葉が、タイトルの「大西洋の海草」のもとになっているのだろう。
それはサリの覚悟の言葉だ。
「櫂の音の中で、おばあちゃんママンが呟くとき、海がハンモックから落ちた子どもたちの頌歌を朗誦するのがわたしには聞こえる。故郷を去り、自由に生きて死ぬ。大西洋の海草のように」