『花の子ども』 オイズルアーヴァオウラヴスドッティル

 

大きな岩だらけの荒れ地に海風がしょっちゅう吹き荒ぶ。ここに住むひとたちは花を植える事をあきらめていたというのに、ロッビの(今はなき)母さんは、最初に木を植え、花を咲かせた。
緑の指の持ち主って確かにいるのだな。
母さんによく似たロッビは、大学に進学せず、園芸の道を志す二十二歳の青年だ。
外国の修道院が管理する有名な(でも今はすっかり廃れた)庭園を蘇らせるため、家を出る。母の温室から母の薔薇の枝を挿し穂用に持って。


「木々に囲まれて暮らしている人には、たった一本の木が育つのを待ち続けた子ども時代なんて、きっと想像できないだろう」
大きな森のある国でこんなふうに考えるロッビが育った、岩だらけの荒れ地を思い出して、はっとした。
わずか数冊の蔵書しかもたないため、何回も何十回も同じ本を繰り返し読んだ本好きな子どもが出てくる本があったけど、よく似ていると思った。


ロッビは、実は父親なのだ。
ほとんど知らない(好きとか嫌いとかいう以前の)アンナと、はずみで関係をもち、そのときに宿った子どもだ。
修道院に寝泊まりしながら庭園で働くロッビのもとに、アンナから手紙が届く。一か月ほど子どもを預かってほしいという。子どもは9カ月になっていた。
アンナとともに子どもがやってきて、ロッビの生活は子ども中心になる。
慌ただしいけれど、生活に弾みがついたよう。
そして、ロッビは、父親へと育っていく。


多様な家族の物語でもあるか。あるいは変容する家族の物語か。
年の離れた父と母と、施設で暮らす弟のいる、ロッビが育った家庭があった。刻一刻と姿を変えている。生きものみたいに。
そして、今、にわか作りの家族がひとつ。子どもを抱いた若い父親は、母親に恋し始めている(順序が逆の恋なのだ)が……


庭園で、彼が挿し穂した薔薇が育つ。小さな娘も育つ。その愛おしさ。
ロッビが故郷から持ってきた挿し穂の薔薇と、小さな娘とが重なる。この子はきっとどこにでも根をおろして美しい花を咲かせる強い枝だ。
奇跡、という言葉がでてきたけれど、人が生まれること、生きていくことは、やはり奇跡なのだ。