『夏の終りに』 ジル・ペイトン・ウォルシュ

 

コーンウォールの海辺の高台のゴールデングローブ荘が、ポールとマッジの祖母の家。従姉弟同志の二人は、毎夏を祖母の家で過ごすのを楽しみにしていた。二人の家族はなぜか互いを嫌い、顔を合わせようとはしないので、二人の子どもが顔を合わせるのも、祖母の屋敷で過ごす夏だけなのだ。
だけど、この夏はちょっと様子が違った。


ひりひりするのは成長の痛みだ。過去の平和、輝きは、懐かしくて美しいけれど、もう二度と戻れない。
「直すことができないものがあるし、もとどおりにしようとしても手遅れだということもある」とは、屋敷の離れで夏を過ごしていた盲目の英文学教授レイフの言葉だけれど、マッジが経験したのは、まさにそういうことだった。


美しい風景描写。夏の森も茂みも、そして、広がる海も、みんな眩しいような美しさだ。だけど、ただ美しいだけではない。どの場所も大きな危険を隠している。甘さと苦さは紙一重だ。
体験した苦さは過ぎ去ることなく、いつまでも喉の奥にとどまり続けるだろう。


大人が子どもを子ども扱いすることの残酷さも身に染みた。
「良かれと思って」という言葉がふと浮かんできたけれど、相手のためを思って何かをしてあげたけれど、それがうまくいかなかったときの言い訳に使う狡い言葉だと思う。一番大切なのは自分、それを一番認めたくないのも自分。
必要以上に苦いものを子どもに飲み込ませているのは、子どもを保護する側の大人かもしれない、と思うとやりきれない気持ちになる。


夏が終わっていく(それは、季節だけではないのだけれど)
いよいよ秋の色へと深みを増していく風景はやっぱり美しかった。