『時ありて』 イアン・マクドナルド

 

エメットは戦記物を専門にする古書ディーラーだが、この日掘り出したのは詩集だった。『時ありて』、イニシャルだけの著者名、発行年は1937年になっている。出版社は記されていない。
後に、入手したときには気がつかなかった未開封の手紙が本に挟まれているのを発見する。
トムからベンに宛てられた短い手紙は、第二次世界大戦時にエジプトの戦場で書かれたものだ。止む無い別離の辛さと再会への希望が切々と綴られたラヴ・レターだった。
手紙に惹かれたエメットは、自分の古書販売サイトへの書き込みを手始めに、ベンとトムを探し始める。彼らの姓名や古い写真、書簡など、ぽつぽつと見つかるのだが、その都度、困惑が深まる。
戦時中、彼らが所属していたはずの部隊に彼らの名前はなかった。
二十代から三十代とみられる彼ら二人が写った幾つもの集合写真は1915年のものから1995年のものまで。八十年もの間「時間の経過は一日もないよう」な姿で彼らは写真におさまっていた。
ふたりは何ものなのか。
一番大きな手がかりは、彼らの手紙や彼らの写った写真のなかにある詩集『時ありて』


エメットのいる現代の章と、トムとベンがいる(いつかの)シングルストリートの章とが交互に描かれていく。
着々と獲物(?)を追っていくような(だから寸切れにして違う時代の違う主人公たちのところに飛ばないでほしい)現代のエメットの章と、まるで霧の中から現れたような、少し幻想的なイメージのトムとベン二人の停止したような時間と。


トムとベンの章、二人でいる秘密の時間は悲劇の匂いを伴って濃密だ。それなのに、こちらに伝わってくるのは淡あわとしたイメージだ。彼らの存在が謎に満ちているせいか、人間の強い匂いがしない。
心に残るのは、絶望的な戦場に湧き上がる大きな雲の中に二人手を繋いで駆けていく後ろ姿だ。
彼らがともに現れるときは、なぜいつも戦時なのだろう。なぜ彼らは戦火の中(あるいはその前後)にいるのだろう。


物語も終わりに近づくと、読者としてもうすうす気がつき始めることがあるのだけれど、まだ気がつきたくない、もうちょっと、と思いながら読んでいた。
この物語がまるまる幻想的な詩のようで、エメットが追いかけていた詩集『時ありて』は実は、私が読んでいるこの本のことだったんだよと言われたら、そうかと思うだろう。そうだったらいいなと思ってもいる。