『海鳴りの丘』 ジル・ペイトン・ウォルシュ

 

『夏の終りに』で、子どものころのマッジとポールが毎夏を過ごしていた祖母の館ゴールデングローブ荘の、その後の物語。
最愛の祖母が亡くなったのは『夏の終りに』の何年か後のことで、この館は多額の維持費とともに、まだ学生だったマッジに遺された。
高校時代最後の夏を、マッジは久しぶりにこの館で過ごす。
夏に合宿しながら読書会をするオックスフォード大学の哲学科の二人の教授(とその家族)と学生たちに、この館を開放したのだ。遅れて相棒のポールも合流する。


物語は二つのパートに分かれる。舞台はどちらも夏のゴールデングローブ荘。
一つ目のパートは、哲学科の教授一家と学生たちと過ごすマッジの物語。マッジは恋をする。浮き足立つことなく、静かに、深く……。


『夏の終りに』から引き続き、なんとも言えない気持ちになるのは、身勝手な大人のために振り回される子どもたちのこと。
おとなの事情については、否定なんてできないし、やむを得ないことでもあるけれど、それにしても。
もし、何事も起こらなかったら、とも思う。何事も起こらなかったら、誰からも、何も見えない、見ようともしないまま、暗いところで、重たいものがどこまでもわだかまっていったのだろうか。
物語の中ではとりかえしのつかない大きな事件が起きてしまうのだけれど……納得できるわけがない。


もうひとつのパートは、訪ねてきた子や孫、姪たちと夏を過ごす「祖母」の物語。この「祖母」の名前は最後の最後まで出てこないが、すぐにわかってしまう。むしろ、最初から名前を出さないことが不思議なくらいだ。
人は変わっていく。彼女も彼女の親族も、歳をとれば若い時とはまったく別の人物のようになってしまう。良いとか悪いとか一言でいえないほどに。
最後に「祖母」は、孫に問われて、自分の来し方をふりかえりつつ、人生についての思いを語る。
「大切なのは目的地ではなく、とちゅうで見るもの」
との言葉が心地よい。読書もそうかもしれない。目的地より途中で見えるものが印象的な本は、何度も読み返したい宝物。


『夏の終りに』『海鳴りの丘』二冊ともに、遠くにいつでも見えている(でもなかなかいくことが出来ない)白い灯台が象徴的だ。ここに行こうと考えるときに何かしらが起こっていたっけ。