- 作者: ケネスブラウワー,芹沢高志
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1988/06
- メディア: 文庫
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父フリーマン・ダイソンは天才物理学者。彼の夢は宇宙を駆ける宇宙船をつくること。
息子ジョージ・ダイソンはカヌー大工。彼の夢は海を走る巨大なカヌーをつくること。
もって生まれた才能も生き方も違う親子の伝記が同時進行に描かれる。
しかし、読めば読むほどに、この二人が双子のように似ていることが露わになってくる。
(そもそもタイトルの『宇宙船』と『カヌー』が、ともに『船』を連想させるのだから・・・)
それでも、二人は長く一緒にいられない。相手の価値観・暮らし方を受け入れられない。
似ているからこそ互いが受け入れられない、ということもあるのだろう。
似ているからこそ、表面に表れる「違い」が我慢ならない、ということもあるのだろう。
けれども違う道を進みながらも互いを理解したい、理解してほしい、と願ってもいるのだろう。
親と子。二人の葛藤が、私自身の体にも繋がっているようなヒリヒリするような痛みを感じる。
二人は似ている。
地球の上であろうが、宇宙であろうが、二人の前に広がるのは遥かな海だ。そして、二人の瞳に映っているのはその海をゆく彼ら自身の夢の船なのだ。
一番似ているのは、彼ら自身が自身の孤独の幕にすっぽりと覆われていることのような気がする。
どんなに親しい人間であろうとその幕の中に入れることはできないくらいに繊細でもある。
しかし、彼らはその幕のなかにちいさくまるまっているわけではない。船は、彼らが、彼ら自身の幕を突き破ってでていくためにどうしても必要なものであっただろうと思う。
>この木の家で、冬がジョージのいちばん好きな季節だ。霧が冷たい海峡から立ちのぼり、彼のベイマツを残して、すべてのものをかき消してしまう。ジョージはまったくひとりぼっち、彼の木だけが汚れない純白の海に突き出している。彼は超然として高みに座っていられる。ミナレット(回教の寺院にある高塔)に座る回教徒のように、あるいは雲の惑星を周回する宇宙飛行士のように。
>フリーマン・ダイソンと星の王子さまは、かなりよく似ている。フリーマンも生真面目な大きな目をもち、大いなる疑問を愛している。そして同じくらい純真だ。
>私はダンに、フリーマンの息子のジョージも同じい目をしていると話した。
>「私の好みを言えば、宇宙気違いが自分の庭で組み立てたブリキ缶に乗って、宇宙へ飛び出して行くような方法が好きなんだ。ジョージのやり方に似ている。・・・」(フリーマン)
水の海であれ、星の海であれ、夢を語る彼らは、とても美しい。
でも、それは狂気と紙一重の美しさ。突き詰めればその美しさは恐ろしい世界に繋がっているのではないか。(正直フリーマンの夢が頓挫したことにほっとする。)
著者は、ジョージとともにビッグ・カヌーに乗って航海をともにする、その旅の描写は本当に美しい。ただただため息をついてしまう。
>海峡がふたたび開けはじめた。岸のトウヒは遠ざかり、森の上には月が姿を現した。海峡はまだ静かだった。水面は鏡のように穏やかにうねっていた。一筋の月影が混じり合い、引き離されながら踊っていた。水道は終わり、海峡の音が戻ってきた。夜は音がよく伝わる。我々のどこか左のほうで、ワシが気の狂ったような裏声で高笑いをしていた。カモメはどこかの岩礁から文句を言っていた。クジラが遠くで潮を吹き、一瞬遅れてアザラシが吠えた。・・・
結びは、真夜中の海のただなかのカヌー。
星の海を目指して進むジョージの船が、父フリーマンの夢の船に重なるようだ。
けれども二人、きっと最後まで別の道をいく。重なりながら別の道を行く。それでよし、と気持ちよく思える。