『庭は私の秘密基地』 銀色夏生

 

著者・銀色夏生さんが生まれ育った宮崎に家と庭(およそ三百坪)を造ったのは二十年前。
その後、都内に暮し、たまに宮崎に帰る、という生活のなかで、庭は草ぼうぼうになっていった。
その庭に再び手をかけ始めたのは四年前からだという。
最初にこういう言葉に出会ったので、この本には、草ぼうぼうの庭が、著者の思い通りの庭に「蘇る」様子が綴られているのだろう、と予想した。
でも、ちょっと違っていた。


著者が庭を愛するように、庭自身もきっと庭を愛している。だけど、庭の望みと人の望みが必ずしも同じ方向を向いているわけではないのだ。
そういうときにどうするのか、相手をねじ伏せようと闘うべきなのだろうか。
この本では、庭と人とが、互いの意見(?)を聞きあって、力を合わせて、ひとつの形を作り上げている感じがする。


渡り廊下前に白いユリが咲いている。そのまわりで白い星のような花を散らしているのはヒメジョオンだ。
ヒメジョオンなんて、庭の敵!と思っていたが、著者は言う。「この白い花の組み合わせが好きでした」


著者の庭は湿気があるせいか、シダや苔が多くある。
写真を見れば、いろいろな苔があるものだ、と感心する。
「雨が降ると静かに体を広げ、ひっそりと輝き始めます」


夏の風のない朝には、すごい数の蜘蛛の巣が朝露をまとって姿を現すという。
作りかけて失敗した第二ハーブ園は通路にしたらすっきりした。
小石を並べて作ったテラスからは、ときどき小石が外れて抜けるが、それもいいのだ。ヤモリもどこかからぽとりとおちる。


傷んだものは補修する。合わないものは撤収する。いつのまにか現れたものについては庭と人との望みをすり合わすような感じでどうするか決める。
著者の庭は、著者だけが作ったのではないし、庭だけが作ったのでもない。


そして、著者はいうのだ。
「今、庭は自分で生き始めてる、と感じます」
ああ、そうか。庭が生き生きとするように手を貸してやることが庭仕事なのだね。
結果、人も気持ちよく過ごせる。
「私と庭は共存して、ゆっくりと生きていきます」という言葉は、なんて気持ちがいいのだろう。
人も庭も気の合う相棒を得て幸せそうだ。