『流れのほとり』 神沢利子

 

日露戦争後、南樺太が日本の領土だった頃。
ロシアとの国境、北緯五十度線より少し南の内川(ないかわ)は炭坑の町。麻子の父は炭坑技師だった。
先に樺太で生活を始めていた父を追って、北海道から、母やきょうだいとともに、内川に引っ越したのは、麻子が小学二年生の夏だった。
このときから、六年生まで。女学校の試験を受けて、麻子が家を離れるまでの一家の暮らしが描かれる。
児童文学者・神沢利子さんは子ども時代を樺太で過ごした。麻子は、作者、神沢利子さん自身だ。
作者は、文庫版あとがきで「幼年のなかにこそ人間の『核』がある」と書いている。


板をお尻の下に敷いて土手に座って授業を受けた夏。
泳いだり、潜りっこをして遊ぶ川は、日に二度、堤を開いて、どうっと上流から丸太を下流の敷香(しすか)に流す。
野イチゴや「くろまめ」の実を摘んだこと。
鮭が川をのぼってくる。
男の子たちが樹の上に基地を作れば、女の子たちは草のなかにままごとの家を作る。


冬。
鉄道駅から何時間も馬ぞりを走らせれば、毛布にくるまれていても、顔が凍ってしまってなかなか動かすことができない。
手に持った小さなねじをちょっと唇に当てたら、くっついてしまって、ねじは唇にぶら下がる。
満天の星空を見上げていれば、空の中に落ちていきそうで怖くなる。


森や草原に囲まれた北限の集落の暮らしは、わたしには想像もできないことがたくさん。そこがどこだろうが、のびやかに遊んでしまう子どものしなやかさに驚いてしまうが、実は容赦のない厳しい自然に抗う日々だった。
目の前で馬が死ぬ。
遊び友達の子どもも、夏の奔流のなか、冬の氷の下で、また病気で、簡単に命を落とす。

そうした環境のせいもあるのだろうか、麻子は大きくなるにつれて、一人考えることが増えてくる。
麻子は四年生のときに、家族と一緒に、ほぼ初めて海に行く。いつか行きたいと願っていた海だったけれど、それは思っていたような青い海でもみどりの泡の海でもなかった。
「赭く濁った波間に、ちぎれた海草や流木がただよい、犬か猫らしい白っぽい屍が浮き沈みしていた。」
麻子の見た海の印象が、成長する麻子の胸のうちと響きあうように感じる。
死の不安。
家族に感じる近しさと遠さ。
大人の不公平さが子どもの領分に浸食してくる苦さ。
なぜだろう、と思うことの答えはみつからないのだ。


男の子に許されて女の子には許されないこともたくさんあった。「みっともない」という言葉で止められる不快さ。


小学校を終える麻子が思う「あたし、おとなしくなりたくない」という言葉が印象的だ。
母親のように生きるかもしれない。母親がやってきたように自分もやっていくのかもしれない。
そうだけれども「おとなしくならない」
複雑な思いと覚悟が織り込まれた言葉だった。