『みさきっちょ』 いしいしんじ

 

著者いしいしんじさんが初めて三崎に来たのは2001年の秋。
目の前は海ばかりという、日の出のバス停を降りて、商店街を歩けば「ポパイ食堂」「ニコニコ食堂」「ニューバッカス」という看板が目に付く。「どこもかっこよかった」という。
このかっこよさを、わたしもそのまま受けとめる。


家を探して訪れた、石原裕次郎ふうの不動産屋さんがおもしろい。
初対面の客に
「いいオトナがよ、平日の昼間っからこんなところでウロウロしてんだ。ロクな自営業じゃネーだろ、オイ」
なんて言う。
でも、この不動産屋さんはかなりの目利き。著者が答える前に「古い一軒家でいいんだよな」と案内したところが、本当に理想の「おもしろい」家で、一目見て「ここ、借りますわ」「オレはよ、なんでも勘が働くんだ」となる。


古い港町は遠洋漁業の本拠地として、嘗ておおいに栄えたが、その栄えはそのまま焼津や清水に移されて、三崎は「時間がとまって」しまう。
昭和の風景が(人間関係も)「残ってしまった」町だった。


最初に、著者の家を訪れたのは向かいの家の二人の子ども。以来、他の子どもたちも入り浸り、隠れた押し入れのなかで寝いってしまうほどになる。
まるいち魚屋のノブさん(引っ越しの挨拶に行ったときには「おめー、バッカじゃねえのかよ!」と呆れられた)と妻の美智世さん。
いつのまにかいなくなって、またひょっこり帰ってくる、寅さんみたいなのぶちゃん。
著者を祭りの輪にいれた、お祭り好きなお向かいのザ古さん。
「外国でも、南の島でも、三崎みたいなところは、ほかにないよっ!」という八百浜の看板娘(?)カオルさん。
まだまだ……。ちょっと落語のなかにある長屋の付き合いに似ているかな。
著者は、この町をどんなに好きだろう。
正直、読みながら、私にはできない、と何度も感じた。土足でいつのまにか上がり込んでくる近所の人も、著者宅を遊び場にしてしまう近所の子どもも、そこまでおおらかに迎え入れられない。それを、なんの気負いもなく受け入れてしまう著者の生活ぶりが、眩しく、少し羨ましい)


著者は、三崎の人びとのことを思いながら、こう書く。
「ひとりひとりのこころがにぎわってる。黄金色のマグロが、胸の内で、ぴちぴち跳ねている」
そのひとりひとりのなかに、もちろん著者いしいしんじさんもいる。
「繁栄の結果、三崎に残された宝物は、三崎に生まれ、三崎に育ち、三崎に住んでる「ひと」だ。それしかない。そんな宝しか、残らなかった。だからこそ、世界一の港なんだ」


添えられた、ふんだんな長谷川義史さんのスケッチがとてもよい。そうそう、こういうところだと思っていたよ、と言いたくなる、本文にぴったりの三崎だった。