『若き日の哀しみ』 ダニロ・キシュ

 

ユーゴスラビアの作家ダニロ・キシュの少年時代、ユーゴスラビア第二次世界大戦下、ナチス支配下にあった。
ユダヤ人の父はアウシュビッツに送られ(帰ってこられなかった)、作者は母と姉とともに、父の故郷であるハンガリーの田舎で農家を手伝いながら終戦を迎えたそうだ。
この連作短編集は、この時代のことを書いた作者の自伝的作品で、主人公の少年アンディは作者自身だそうだ。


牧歌的な風景と素朴な人々に囲まれて、働き、遊び、惑い、逃げ出し、探し、夢をみ、愛した日々。
少年の横顔が、様々な情景を通して、あちらからこちらから切れ切れに描かれる。
苦い話もあるけれど、ほほえましいエピソードばかりとおも思える、一見。だけど……


死の影と不安が少年の思い出にはついてまわる。
その時代にいったい何があったのか、ユーゴスラビアは、ユダヤ人は……大きな事件も小さな事件も数え上げて詳細に説明することもできただろうし、そうした背景のなかで、少年の家族に何が起こったか、家族がどんな影響を受けたか、明確に書くこともできただろう。
でも、作者はそうはしないのだ。
巻末の訳者の解説にこんな風に書かれている。
「衝撃的な事件をキシュはけっして直接、描写しない。あくまでも、心象風景を造っていく」


「あんなにあったマロニエの木が消えてなくなるなんて、せめて一本くらい残っていそうなもんじゃありませんか」
と、大人になった彼は言うのだ。子ども時代に過ごした通りは、見つからない。消えてしまったマロニエの木っていったいなんだったのだろう。


あるいは賑やかなサーカスの去ったあとの原っぱに無残に残された数々のこまかな残骸は。


物語の中で「死」を負ったのは、人ではないものたちだった。
少年が石を打ちおろして殺したものも。
求めても二度と会えないものも。


私たちが見せられるのはそういうもの。
情景をあらわす文章は抒情的で美しい。
美しい情景の中に隠されたものは、あとからゆっくりと効いてくる。
直接に語られるよりも、うっすら見えてしまうもののほうが堪えることもある。