『周期律』 プリーモ・レーヴィ

 

「……青年時代に訪れた浜辺や渓谷と同じように、あらゆる元素が静かに何かを語りかけるのである……」


アルゴン、水素、亜鉛、鉄、カリウム、ニッケル……
21の短編は、タイトルにすべて元素の名前がついている。
『訳者あとがき』の言葉を借りるなら、
「それぞれの元素にまつわる思い出を語りながら、その元素と自分との関わりを書いている」のだ。
21の短編を順に読めば、自伝のようになる。
彼は「物質の世界に詩を探す化学者でもあった」


作者はユダヤ人である。1919年、イタリアのトリーノに生まれた。
化学専攻の大学時代は、「人種法」によるユダヤ人差別のため、学問の継続は困難を極めた。
レジスタンス活動に参加するが捕えらえ、ユダヤ人であるためにアウシュビッツに送られる。
彼は、アウシュビッツを生き延びたユダヤ人である。


作者は、強制収容所時代に知ったあるSSの男の名前を、戦後、仕事の取引先からのメールにみつけて、当時を振り返る。
「当時、静かなるドイツ国民の大多数は、できるだけ物事を知らないように努め、従って、質問もしないようにするのを、共通の技能にしていた」
自分の居場所から、アウシュビッツの焼却炉の火が見えたとしても。
あの男は、そういう人だった。
作者は、このような人々のことを「盲人の国に少なからず存在する、単眼の人物の一人」と呼んだ。また、「正直で無気力」な人と呼んだ。
正直で無気力な人たちが、アウシュビッツをつくりあげる「地ならし」をしたのだ、と。
アウシュビッツを作ったのは「人間」なのだ。
「だからこそアウシュビッツに対して、すべてのドイツ人が、そして人類全体が責任があり、アウシュビッツ以降は無気力であることは正当化できないのである。」


作者が若い頃に出会った友サンドロは、山男で、「熊の肉を食う事」(=困難を受け入れること)を教えてくれた。
「それは強壮で自由な自分を感じさせる味、過ちを犯す自由、自分自身の運命の主人であることを感じさせる味だった」


アウシュビッツで出会ったアルベルトの話も忘れられない。
「彼にとって、あきらめ、悲観主義、意気消沈は、忌むべき罪だったのだ。彼は強制収容所の世界を受け入れず、本能と理性から拒否し、それに汚されることがなかった。彼は善意を持った強い男で、奇跡的に自由のままでいた」


サンドロもアルベルトも、作者に、目には見えないけれど、役に立つ、素晴らしい宝物をプレゼントしてくれた。だけど、彼ら二人は、若いまま、あまりに残虐な方法で殺されていったのだった。


次々にあらわれる元素から覗くのは、きらっと光る美しいもの。はっと目を瞠るが、それは長くは続かないのだ。
最後に残るのは、重たい問いかけである。
わたしは、「正直で無気力」な一人ではないだろうかと。