だれも見た事のないスナークを捕まえようと、「スナークがいそうな場所」に上陸したのは、ベルマン船長以下八人と一匹。
ルイス・キャロルのナンセンスな詩に、トーベ・ヤンソンがユーモラスでちょっと不気味な挿絵をつける。この雰囲気、詩と絵と息がぴったり合っている。
それは、日本で、穂村弘が「訳しませんか」と言われて「思わずとびついた」というのと一緒。
原作&挿画&訳が、きれいに揃った極上品になっている。
「言葉遊びの天才」キャロルの「遊びと謎に満ちた原作の韻文性」をそのまま味わえないのは残念だけれど、歌人・穂村弘だって、言葉遊びなら負けてはいない。
この本はすてき。長歌として訳されたのだ。「五・七・五・七……」のリズムを「五・七・七」で閉じることを繰り返しながら物語が進む。
こだわりの長歌は、最後にご丁寧に「返歌」があって、笑ってしまう。原文はどんなふうになっているんだろう。
登場人物の一人、
「名無しくんはどんな名前で呼ばれても
すぐに返事をしたものだ
「へめへめくつじ」「ヘマムシヨ」
「へのへのもへじ」なら文句無し」
どれも文字を使って人の顔をかく遊びからの引用とのこと、「名無しくん」の顔のイメージだそうだ。
おかしな登場人物はほかにもさまざま。
「パン屋として乗り込んだけど 云いだすの遅すぎたけど
ベルマンの怒髪が天を衝いたけど
つくれるのはウェディングケーキだけです」
など、言葉遊びの天才二人、作者と訳者がじゃれあって遊んでいるみたい。なぞなぞの掛け合いのようでもある。楽しくなってしまう。
さて、
そもそも、誰も見た事のない生き物をつかまえようだなんて、それも「スナークがいそうな場所だ」なんて、みんな揃ってまじめな顔して言っているなんて。
だれか「そんなのおかしいでしょ。我にかえろうよ」と言ってもよさそうなものを、わあわあと進んでいってしまうのが、考えてみれば不気味でもある。
スナークってなんだったのでしょう。つかまえることはできたのでしょうか。