遠足の途中で足止めを食った、四人の生徒と引率のフィオーリ先生。
雷雨が近づいているので、近くの空き家になった屋敷に避難する。
雨を避けたいというよりは、五人、屋敷から「呼び声のようなものを聞くのではなく、感じて」いたからだった。
屋敷で、机の隠し戸棚から、一人の生徒が一冊の本をに見つけ出す。タイトルは『彼の名はウォルター』
不気味な挿絵がまず目につく。人間や亡霊、魔女、等身大の動物たちが出てくるおとぎ話だった。
雷雨に降りこめられた夜。
先生と四人の生徒たちは、不安をまぎらすために、この本を読み始める。
それにしても、この屋敷に籠る不気味で禍々しい気配はどうだろう。「何かとても悪いことがここで起こったのよ」
本を手にして、(特にある生徒は)感じている。目に見えない力が、読み続けることを求めている。一方では、別の目に見えない力が、読み続けることを阻止しようとしている。
「おとぎ話みたいに書かれているけれど、これは秘密の本なの。この家の秘密が書いてあるんだ」
本は、五人をどこに導こうとしているのか。そして、それをやめさせようとしているのはいったいどういう力なのか。
五人のいる現実の世界と、本の中の世界とは、どんな関係があるのか。
雷鳴がとどろき、電気が消える――
――ひっと声がでそうになる。怖いよ。怖いよ。
雰囲気が……壁があれば壁が、窓があれば外の闇が、そして、何もなければ空気が、じわりとこちらを囲むようにして、距離を詰めてくるような雰囲気が、もうほんとに。
「おとぎ話」は、隠喩と象徴に満ちている。そういう方法を使って人間の魂について語っているのだ、とフィオーリ先生はいう。
隠喩や比喩はおとぎ話だけではない。自分がほかの人とちがう、ということで感じる辛さは、見方を変えれば……。
「きみは、ほとんどの人が持っていない特別な才能をもって生まれてきた」と告げるために、ある少年が使った比喩がとても素敵だった。
ところで、おとぎ話の不思議は、ほんとうに比喩や象徴で説明できるものなのか。
どうしても説明できないあれらのことは……
この物語のなかで、あの本を閉じたときに、「これで終わりじゃないぞ」という言葉とともに続きが始まったように、この物語を読み終えたとき、何かが始まる。