『深夜特急3 インド・ネパール』 沢木耕太郎

 

 

シンガポールにいた著者はバンコクに戻り、バンコクからカルカッタへ飛ぶ。
カルカッタからバスでカトマンズへ。カトマンズから再びインド。インドは東から西へと移動し、デリーに到着する。


カルカッタに到着した瞬間からもう、インドの濃厚な空気がわっと押し寄せてくる感じだ。
車の往来、道端に座り込む(寝込む)人びと、その間を牛が行く。
歩く著者の足をつかんで離さない乞食。
物売りの少年たち。
売春宿の年若い娼婦。路上でわずかな小銭を求めて身体を売ろうとする七、八歳の少女。
死体焼き場の臭いをかぎに集まってくる牛たち。


一時はブッダガヤの日本寺の居候となり、大学芸術学部助手の職を投げうって当地に来ていた日本語講師の青年と知り合った。(この青年此経啓助さんは、巻末で著者と対談されている) 
印象に残っているのは、二人揃って、「アシュラム」という施設でボランティアをしたこと。ハリジャン(不可触民)と呼ばれるインド最下層の子どもたちのための、孤児院兼学校兼職業訓練所だ。
ここにいれば、子どもたちの生活はある保証されている。
だけど、著者は考える。これが本当に幸せなのだろうか、と。
親といっしょにいる子どもの(貧しく惨めな暮らし、先行きも暗いのに)の陽気さが、ここの子どもたちに感じられないことを著者は気にしている。


旅の途上、ヒッピーたちにも出会ったが、彼らへの著者の言葉は手厳しい。
「ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です」
「その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです」
長くなっていく旅の間に、自分が同じように饐えた臭いを発散し始めているのではないか、という振り返りの言葉でもある。


ヒンドゥー語にない言葉が三つあるという話も印象的だ。
「ありがとう、すみません、どうぞ」
ほんとうは、あるが、異なるカースト同士でこういう言葉を使うことはないそうだ。著者はインド滞在中、これらの言葉を一度も聞いたことがなかったという。


良いも悪いもなくインドは生きている、動いている。得体のしれないエネルギーを感じる。
ぼうっとしているとこちらのエネルギーを吸いとられてしまいそうなほどに。
長旅の疲れだろうか。毒気にあたったのか。高熱で倒れ込むように到着したデリー。
「デリーからロンドンまで乗り合いバスで旅する」という当初の目的を達成するための出発地点だ。