『それぞれの世界へ』 マリア・グリーペ

 

 

『エレベーターで4階へ』『自分の部屋があったら』に続く、三部作の最終巻。
ロッテンとマリオンが感じていたなんとなくの重い空気は、まさか、そんな形で、と驚くような形で実体になってしまう。どうしようもなく翻弄される少女たちと、頼りにできない(したくない)大人たちに、やきもきしてしまう。


訳者あとがきに書かれていた、
「人格尊重は、北欧文化の基盤です。年齢を問わず、相手のいいぶんに耳を貸し、たがいに意見を出しながら、考えあって、納得のいく結論を出していくのです」
「親子としての関係よりも、人間どうしの理解が重要なのです」
という言葉に、納得しつつ、畏れ入る。
1930年代である。スウェーデンではすでに当たり前の考え方だったのだろうか。
スウェーデンの頼もしい若人が現代に登場する基盤は、こんなに昔から(もっと前から)この国では自然にあったのだなあ、としみじみしてしまう。
 

今日は夏至
大きな出来事は、夏至祭を中心に起こるが、これまでのなぜだろう、と思うあれこれは、どれもみなこの出来事の伏線だったのだ、と思い至る。
とはいえ……スウェーデンの初夏の美しさ。気持ちよさ。わたしは本の中で何度も深呼吸したくなった。(大変なことが進行しているときでも。みんながそれぞれにやきもきしているときでも)

 
「永遠に続くものは、一つもないのよ。すべてはたえず変わっていくの。ときには早く、ときには気がつかないほどゆっくりと。つらいこともあるわ。でもね、だいたいは、思ったほどつらくなく過ぎていくのよ。いつも、新たな道が開けていくものなの」
オルガの言葉が心に残る。


タイトル通り、登場人物たちは、それぞれの道を歩き始める。
ロッテンはとうとう自分の部屋を手に入れた。それは、ロッテン自身が、ひとつの時代を通り過ぎ、次のステージに立った、ということでもある。
物語は開かれている。それぞれの前には、それぞれの(たくさんの課題をかかえた)道が、ぼんやりと見えている感じ。
でも清々しく見送れるのは、ほら、少女たち、なんとか、ここまでを自分の力で越えてきたからね。