『ジャーニー・ボーイ』 高橋克彦

 

ジャーニー・ボーイ (朝日文庫)

ジャーニー・ボーイ (朝日文庫)

  • 作者:高橋克彦
  • 発売日: 2016/10/07
  • メディア: 文庫
 

 

イザベラ・バード著『日本奥地紀行』は、明治11年、旅行家バードが、日本人通訳伊藤の案内で、東京を出発して、東北、北海道を旅した記録だ。
英国人女性の眼を通して眺める明治の日本は、読んでいるわたしにも不思議の国になった。
現在とはあまりに遠い日本人の姿、バードの物の見方、伊藤の振る舞いなど、謎も多く、時々よくわからないことがあった。
それだから、『奥地紀行』からさまざまな物語が生まれる。
この本、『ジャーニー・ボーイ』もその中の一冊。


この物語では、主人公、通訳の伊藤鶴吉青年は、ただの通訳ではない。
旅の間に、バード女史に危害を加えようとする輩があるかもしれない、というのが、日本の外務省の見方だ。有名な英国人旅行家が危機にさらされるのは、時の日本政府にとって好ましくなかった。ということは、進んで女史を狙う輩もいるに違いなかったのだ。
ガイド(実は護衛)として白羽の矢がたったのが、英語も喧嘩の腕も確かな伊藤だった。


まずは東京を出発して、最初の逗留地、粕壁の宿に着くまでに、もう、気になる人影が見える。
その後も、その後も……。
果たしてそれは敵なのか、敵だとしたら、一体何もので、なぜバードを狙って動いているのか。
バードに決して気取られることなく危険を取り除かなければならない。
さあ、冒険が始まる。


バードと、伊藤のやりとりもおもしろかった。
バードが見る日本と、伊藤の知っている日本とが食い違う。
たとえば、内陸に旅を進めれば、貧しい集落に出会う。ほとんど全裸に近い姿の村人にも出会う。
「服を着ようとしないのはなぜ?羞恥心は人にとってとても大切なもの。それを失えば道徳観も薄れてしまう」とバード。
「買えないほど貧しいのです」と伊藤。
「その貧しさを知りながら放置しているのはだれ? 政府はだから隠そうとする」とバード。
この先、討論はまだまだ続くのだけれど、どちらの言葉も一理あり、双方に頷いているうちに、「恥」とは何か、という疑問が浮かび上がってくる。


それから、刀を捨てさせられた士族の話は、辛かった。
武士たちがこの国を二分して戦ったわずか十年前のことなど、そして、その後の士族たちに強いられた理不尽な暮らし方など、心に残っている。
命より大切と信じていた道に墨を塗られたようで。
それでも彼らは、バードを守るのか、襲うのか。誰の意志で?


深刻な場面になればなるほどに、バードのポジティブな姿勢に目を見張る。大した女史だ、と関係者は首を振る。
バードは、日本人が子どもを大切にする様子に心動かされる。
「大人たちが小さな子供たちを大切にしている。それは未来が信ずるに足るものだから。心まで貧しい国は子供が一番の犠牲になる。」
今もそうでありたい。これから先もそうでありたい。


バードに危機が迫ったのは一度や二度ではなかった。
命を懸けてバードを守るもののおかげで事なきを得た。けれど、本人は何が起きていたかも知らずにいたのだ。
そして思い出すのが『日本奥地紀行』の、以下のこの件。初めて読んだときのなんと印象的だったことか。
「世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている」
とバードは書いているのだ。……伊藤はこの部分、読んだかな?