『イトウの恋』 中島京子

 

イトウの恋 (講談社文庫)

イトウの恋 (講談社文庫)

  • 作者:中島 京子
  • 発売日: 2008/03/14
  • メディア: 文庫
 

 

『日本奥地紀行』は、1878年、旅行家イザベラ・バードが、通訳・ガイドとして伊藤という18歳の青年を雇い、五ヶ月かけて東北、北海道を旅した記録だった。
この本『イトウの恋』のイトウは、あの通訳青年の伊藤のことだった。
『奥地紀行』の伊藤。バードによれば、ちょっと愚鈍に見える醜い男だった。ガイドとしては誠実な働きぶりで申し分なく頼りになった。その一方でずるくたちまわり、宿賃などの上前を跳ねた。非常に勉強熱心で、雇い主から常に正しい英語を学ぼうとしていた。
……そういえば、ちょっと気になる青年だった。
この本は、イトウこと伊藤亀吉が晩年に書いた手記、という体裁で、IB(イザベラ・バード)との旅を振り替える。旅、というよりも、IBへの思いを。イトウは、二十歳以上年上の彼女に恋をしていたというのだ。
イザベラ・バードの旅をイトウ目線で辿るのはおもしろかった。
英国人の見た日本人のしぐさ、習慣などが、日本人青年の目で修正されていく。修正、というよりも、よりどころになる地盤が違っているために、互いに偏よった見方にしかならなかったのだ、ということなのだろう。
一途な青年の募る恋心は微笑ましいが、一途さゆえの危なさに、はらはらする。


この手記は、現在の中学教師、久保が、曾祖父の残した旅行カバンの中から発見したもので、しかも、途中で寸断されるように終わっている。
では、残りは一体どこにあるのか。そもそも久保の曾祖父とイトウは、どういう関係にあったのか。
調べていくうちにイトウの曾孫の田中シゲルを知り、久保は、もしや手記の残りを持ってはいないかと、連絡をとる。


手記のなかのイトウの恋、現在の久保とシゲルが徐々に惹かれていく様子がリンクしているようでおもしろい。
不本意な人生に翻弄され酒に溺れる母のことで心痛めていたイトウと、生母を覚えていない田中シゲル。手記のなかと外の二人の母への思いも、どこか繋がっているようだ。


「この人がつまんない女を好きになんなかったのがうれしいってことなの」
シゲルがイトウの手記を手にして言った言葉だけれど、私は、彼女の「うれしい」という言葉がうれしい。