『夜の歌』 フランシス・ジャム

夜の歌―散文詩 (岩波文庫 赤 557-1)

夜の歌―散文詩 (岩波文庫 赤 557-1)


「夜が私に歌って聞かせた……」
詩人のもとに訪れた夜が語って聞かせる、「〜の夜」というタイトルの散文詩ばかりを集めた詩集。
自分自身が生まれた夜の歌から始まるこの詩集は、ほぼ自叙伝でもあるのです。
アンデルセンの『絵のない絵本』を思いだしたり、ヒメネスの『プラテーロとわたし』を思いだしたりしたのも、自叙伝風だからだろうか。


「六月のしめやかさと、菩提樹の薫りの中を、夜の行列が橋を渡る」(『サン・ジュアン祭の夜』書き出し)という一文。
無造作に、ぱっと本を開いただけで、こんな言葉が目に入るのだから、うれしくなってしまう。
三好達治さんの訳が美しい。旧仮名遣い、旧漢字のままの本も愛おしい)
美しい光景を表す美しい言葉に出会えば、それだけで幸せだ。
しかもそれは、遠いところではなくて、たぶんわたし自身の身の周りにもある、わたし自身の中にも、探せばみつかるかもしれない、そういうものの美しさ。もの、というよりも、それを見つめる詩人の見方が美しいんだ。


活動写真館の賑わいから引き離されて、りんとした森のアネモネに思いを馳せる。「夜の中に兆しそめた、一抹の東雲(しののめ)」に。
ドン・キホーテの語る大仰な言葉に少し笑い、少し酔いそうになったり、コロンブスが夜の内に見た光を思い浮かべたり、いにしえの街に一人迷い込んだように思ったり。
夜のさまざまな青について。夜のさまざまな真珠母色について。(静けさを色で表すと、「静」が活発に感じる。一種独特、幻想的な活発さ)
幼い頃の夢、若い日の憧れ、祈り、夜に語られる言葉は、夜の色をまとって、朧に霞んでいるよう。


読む、というより、夜を皮膚にまとうような気配を楽しむ。
詩人は孤独であっただろう。
孤独でいることの充実、孤独だからこそ研ぎ澄まされる珠のようなものに触れている。