ブローティガンの七冊の詩集から訳者池澤夏樹さんのチョイスで六十余編の詩が選ばれた。
訳者は、一切の「注」をあえてつけなかったという。
だから、(一編一編を繰り返し読みながら、これはいったいどういう状況で何について歌ったのだろうと何度か思ったけれど)わからないことはわからないままに、心のまま自由に楽しむことにした。
詩人のなかには、一人の無邪気な子どもがいて、その子はいつでも何かに憧れているのに引っ込み思案で、寂しがり屋で傷つきやすい心を持っているようだ。空の星に憧れて、長い棒を振り回したりもするが、思った通り、届かなかったことにひそかに落胆しているような、そんな子ども。
グロテスクなもの危険なものの手前で、はっと立ち止まるのは、たとえば『ボート』の、こんな気づきの時。
「悪の森に住む
狼男の
なんと美しかったこと」
逆にそうして気づかされた美しいものがすでに過去のものになってしまったという嘆き。
『冬の最初の雪』の
「三か月前おまえは冬の最初の雪を
みつめる鹿のようだった」
いくつかの詩に、まるで幼友達のように顔を出すボードレールの名前。
詩人たち(ブローティガンとボードレール)はふざけんぼうの少年みたいだ。どこかに置き忘れてきた子ども時代を、詩のなかで、二人してとりもどそうとしているみたいだ。
二人のあとを邪魔しないように気をつけて付いていく。
「ボードレールは自分のことを
猿だと考えて
あちらこちら
ぴょんぴょん跳びまわり
錫のコップをさし出した」―『一九三九年』より
「ボードレールは
サンフランシスコに
ハンバーガースタンドを開いた。
そしてパンの間に
花をはさんだ」―『フラワーバーガー』より
「ボードレールもやってきて
ぼくの虫のお葬式に
参列し
死んだ鳥くらいの
小さなおいのりを
となえてくれた」―『虫のお葬式』より